お子さんの臓器移植と輝く命 |
先日、シンガポールで脳死と判定された日本人のお子さんが、臓器提供をなさったというお話が報道されていました。亡くなったのは1歳半のとても愛らしいお嬢さんです。
かわいいさかりのお子さんを突然、不慮の事故で亡くされたご家族の悲しみの深さは計り知れません。
日がたつにつれて、いろいろと思い出されること、考えることがたくさんあるのだと思います。「脳死判定により臓器提供」という選択について、時には、家族の本当の思いとはかけ離れたところで生じた周囲の雑音により、心惑わされることが起こるかもしれません。
そんな時に、お伝えしたい言葉あります。 |
死せる物の中には生命が残っている。それが生き物の内臓に結びつくとふたたび感性的知性的生命を帯びるのである。 〔H.89 v.〕
引用文献:
杉浦明平訳(1954)『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』
岩波書店, p.53 |
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レオナルドは「生命が残っている。」と記していますが、この「生命」とは、私たちが考える「生命」とは違う意味を指しているのだと思います。
レオナルドの指す「生命」とは、人として生きていくために必要なエネルギー(でもそれだけでは生きてはいけない)のことではないでしょうか。
この文章の後に「生き物の内臓に結びつくとふたたび感性的知性的生命を帯びる」と続くことが考えるヒントになると思います。
「脳死の方(Aさん)の臓器には生きていくために必要なエネルギーが残っている。しかし、Aさんの臓器が単独で生きていくことはできない。
Aさんの臓器が生きている方(Bさん)に移植されることにより、Aさんの臓器の持つエネルギーは、Bさんの身体やエネルギーとつながり、Bさんは新たな命を得ることができる。
そしてBさんは可能になった様々な経験を通して、心で感じたり、思考を深めることができるようになる」そんな風に考えることができるのではないでしょうか。(レオナルドの文章に触発された勝手な私論ではありますが…)
ここで『銀河鉄道の夜』に登場する、赤い蠍の火の話を思い出しました。カムパネルラとジョバンニたち一行は、天の川の向う岸の野原に、赤い火が燃えているのを見つけます。「蠍の火」の話をかつて、父親から聞いたことのあった女の子は、その説明をはじめました。
女の子によると、いたちに襲われて井戸に逃げ込み、おぼれ始めた蠍が次のようにお祈りしたというのです。 |
どうか神さま。私の心をごらんください。
こんなにむなしく命をすてず
どうかこの次にはまことのみんなの幸のために
私のからだをおつかいください。
引用文献:
宮沢賢治(1990)『銀河鉄道の夜』集英社, p.210 |
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臓器提供されたお嬢さんの命は、シンガポールのどなたかの身体の中で、「幸せ」となって今も生きているのだろうと思います。
レオナルドの言葉をもう一度。 |
立派に費された一生は長い。
〔Tr.34 r.〕
引用文献:
杉浦明平訳(1954)『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』
岩波書店, p.71 |
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美しい蠍座α星アンタレスとなった蠍のように、臓器提供をされたお嬢さんの命が、遺されたご家族の気持ちを照らしますように。
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2013/7/25 長原恵子 |