看護学校卒業後、ある大学病院の小児外科系病棟で、看護師として6年ほど働きました。この時に感じたこと、考えたこと、学んだことが、
私の人生の基盤になりました。
出会った子どもたちは自分の師であったと思っています。
また20代後半、いろいろ考えることがあり、外資系企業で会社員として、
2社、
通算11年働きました。
様々な国の人と仕事をする機会を得て、多様な価値観を知りました。
そして「仕事を取り上げたら、
自分は何も残らない生き方に陥っている」
と気付き、
京都にある大学の通信教育部に入学したのが30代半ばです。
歴史と芸術分野の勉強をはじめました。
それは人生の方向性を考える上で、大きな転機になりました。
医療とはまったく畑違いのことを学びたくて入学しましたが、ある日、
京都でスクーリングに参加している時、
「絵画、彫刻、建築…どれも発展してきた根底には、生命や死に対する畏敬の念が根底にあったからではないか」と気付きました。
そして、大学で芸術や歴史のフィールドから、生命や死に対して考えるようになりました。
また、自分の人生後半を考えた時、やはり病気のこどもを支援する仕事が自分にとっての原点だと思い、会社は辞めました。そして40代は小児保健の分野にシフトしていったのです。
大学の卒論は、平安時代の貴族の死生観をテーマにしたことをきっかけに
仏教や思想についていろいろ深めたくなり、東京の浄土真宗系の大学院の
通信教育部(修士課程)に進学しました。病気のこどもの中には、どんなに手を尽しても、命短く旅立っていくこどももいます。どうして我が子がこんなに早く逝ってしまうの?という理不尽さ、憤り、悲しみ、そうした様々な親御さんの心の行方を、支えていくためには、自分にとってあらゆる分野での勉強が必要だと思ったからです。宗教とはほとんどと言って良いほど無縁だった自分にとって、仏教や古代思想などを学ぶ機会はとても新鮮で貴重でした。またその大学院ではグリーフケアやターミナルケアについても学ぶことができました。もし私が20代前半に大学院に進学し、そうした分野の勉強をしても、おそらく零れ落ちていくものが多かったことでしょう。様々な人生の経験を経て、年を重ねて門を叩いたからこそ、自分の中で吸収できることが多かったのだろうと思います。そしてお子さんを亡くしたご両親が、 悲しみを抱えながらも生きるため、拠り所とできる思想が仏教にないだろうか、と研究に取り組みました。特定課題研究論文の要旨をまとめたものをこちらに発表しています。
長原
恵子(2014)「子を看取る親の悲嘆と仏教思想」『人間学研究論集』 (3), pp. 127-140
その後、お子さんを亡くしたご両親やご家族への支援について、引き続き
考えたいと思い、別の大学院の後期博士課程に入学しました。
臨床死生学を専攻しましたが、その後、卵巣がんがわかり、病気療養のため休学いたしました。休学中は自宅でいろいろと勉強を続けておりましたが、自分の置かれた状況を思案した結果、退学届けを出しました。
それを一時は挫折のように感じた時期もありました。しかしながら、何のために自分は学ぼうとしていたのか? と初心に立ち返った時、自分はこれまで得てきた学問や経験を、亡くなったこどもやそのご家族のために還元すべきだと思うようになりました。もちろんそれは、机上の学問だけでは通用しません。こどもやご家族たちとのリアルな出会いから得た学びや気付きを統合し、自分なりのスタイルを日々模索しています。
そうした紆余曲折を経て、2013年4月8日、病児・家族支援研究室 Lana-Peaceを立ち上げました。そして2014年1月よりヒーリング&カウンセリングワークを開始しました。
自分ががんと診断された時は、とても信じられなくてショックだったけれども、あれは自分の生き方を見直して、成すべきことに向かうようにという啓示だったと思うようになりました。そして人が病むということは、一体どういうことなのか?、その人の人生にとって病いとは何か?、常にそういった視線を持って、病気のこどもたちやご家族の話を伺うようになりました。もちろん健康でありながら、そうした視線を十分持って対応できる人はたくさんいることでしょう。しかしながら、私のような未熟者には、あのタイミングで、患者になる必要があったのだと思います。病いによって生じる辛苦、それを理解するために。そしてそれを抱えた「人」をより深く理解するために。生き直しのチャンスをもらったのかもしれません。
おかげさまで、現在は病気発覚以前よりも体調良く過ごすことができています。自分がどういう治療を受けていきたいか、考えていく上で、人間本来の自己治癒力や病気の仕組みについて、原点に立ち返って考えるようになりました。そして日々の暮らしや自分の気持ちのあり方によって、随分身体は変化していくことを、自分の身をもって感じるようになりました。そうした気付きの中で、他の方々にも何かお役にたてることがあればと思い、ブログやホームページを通じて情報発信も行っています。そうした様々な活動は日薬と共に自分の心身を鍛え直してくれることになりました。2015年より活動の場を広げ、2020年、更に多様な背景を持つ人間がそれぞれ変容、成長していくことの奥深さを理解し、支援するアプローチを学び、日々活かし今に至っています。
Lana-Peaceの活動が、どこかで誰かの役に立つことができれば、何より嬉しいです。そして病気を経た後、自分が命を長らえた意味があるように思えます。
病児・家族支援研究室 Lana-Peace (ラナ ピース)
代表 長原恵子