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悲しみで心の中がふさがった時 |
月の光と心の中の存在 |
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして 在原業平朝臣
引用文献:
『古今和歌集』巻第十五 恋歌五:新編日本古典文学全集11,
小学館, p.287 |
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これは古今和歌集巻第十五 恋歌五に登場するもので、在原業平によって詠まれた歌として伝わるものです。
訳してみるとこんな感じす。 |
長原私訳:
月は去年のままではないのだろうか。
春も去年のままではないのだろうか。
月も春も変わってしまったのだろうか。
私の身体だけは去年と同じ、元の身体だというのに。 |
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これは交際相手の女性に会えなくなってしまったことを業平がはかなみ、詠まれた歌なのですが、亡くなったお子さんを思い出すご両親にとっても、きっと同じような気持ちなのだろうと思います。
お子さんを亡くした後に迎える初めての春は、まるで違った星で迎える季節のように感じられるかもしれません。
どんなに空気があたたかくなって、雪が解けて、日差しがまぶしくなり、お花が美しく咲き誇っても、ちっとも心が楽しく動かされるようなことが、ないかもしれません。
自分は今もこうして生きているというのに、まるで無感動な世界の中にたたずんでいるように思えるかもしれません。
そして「去年確かに自分のそばにいた我が子は、今どこにいるのだろうか…」と思っていらっしゃるかもしれません。
でも、目に見えないだけで、お子さんはご両親の心の中に住んでいるはずだと思うのです。
今年の月も、今年の春も、どちらもご両親と一緒に見たり感じたりしているはず。
ご両親の身体に大きな変化はないかもしれないけれど、ひとつ確かに言えることは、「亡くなったお子さんがこの世で生きていくために必要なお部屋が、ご両親の心の中にしっかり用意されている」ということだと私は思います。
ご両親がしっかりと食べて、しっかりと休んで、眠って、しっかりと生活を楽しめるようになれば、身体も心もあたたかいことを自覚できると思います。そうなることによって、ご両親の心の中に用意したお部屋は、お子さんにとって、それはそれは居心地の良い場所になるのだと思います。 |
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心の中にお引越ししてきたお子さんが、心地良く過ごせるようなご両親の心と身体を作れるように、お手伝いしていきたいと思っています。
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2013/10/11 長原恵子 |
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