ご住職だって悲しい |
普段、仏の教えを説く立場の方にとっても、子どもを亡くすことは、それはそれは、大変悲しいものです。
18世紀から19世紀にかけて活躍した俳人の小林一茶の『おらが春』には、そうした悲しみが記されています。
明専寺は今の長野県 信濃町にあり、一茶の菩提寺と知られるお寺ですが、当時のご住職、十九世月原秀栄氏の次男坊であった鷹丸(高丸)くんにご不幸が起こりました。文政2(1819)年3月、11歳になる鷹丸くんは、あたたかな日差しのもと、せりやなずなを摘んで遊んでいたところ、雪解け水で増水した樽川に落ちてしまったのです。たくさんの人が手分けをして探したところ、一里ほど下った川下で鷹丸くんは見つかりました。しかし残念ながら、息を吹き返すことはありませんでした。
鷹丸くんが川から引き上げられ、介抱された時、鷹丸くんの着物の袂からはふきのとうが3、4つ零れ落ちたのだそうです。きっと春が来たことを喜び、散歩の途中で見つけた春の証をご家族に届けたくて、おみやげとして、袂に入れておいたのでしょう。
夜の八時ごろ、ご住職夫妻の元に鷹丸くんは戻りました。
ご住職夫妻は、それはそれは深い悲しみに突き落とされたのです。
その様子を一茶は次のように記しています。
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人目も恥ず大声に泣ころびぬ。
日ごろ人に無常をすゝむる境界も、其身に成りては、
さすが恩愛のきづなに心のむすび目ほどけぬはことわり也けり。
引用文献:
校注者 矢羽勝行(1992)『一茶 父の終焉日記・おらが春 他一篇』岩波書店,「おらが春」よりp.120 |
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このような内容のお話です。 |
長原私訳:
ご住職夫妻は周りの人々の目も恥じることなく、大声で泣き転んでいらっしゃいました。
常日ごろから、人々にこの世の無常を説かれていた立場のご住職であっても、ご自身の身の上に起こったことは別格です。
息子さんとの間に親子の強い愛の絆があるのですから「この世の中には、何も変わらず、ずっと永遠に続くものなどないのだ」という道理を、ご住職夫妻が易々と心の中に受け入れられないとしても、それは自然なことなのです。 |
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明専寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。真宗では阿弥陀様への帰依するという信心が定まった時に、往生が定まると言われています。
ご住職夫妻は「鷹丸くんは阿弥陀様のお力で救われるのだから、逝く先を何も案じる必要はないのだ」とわかってはいても、朝まで元気で過ごしていた大切なご子息が、その夜、もはやもう目を覚まさない姿になって戻ってきたことは、どんなに大きな衝撃だったことでしょう。
その悲しみや寂しさ、ショックの深さは、ご住職夫妻から理性を取り払ってしまったのかもしれません。
でも周囲の目を気にして、気持ちを押し込めてしまうのではなく、悲しいときは悲しい気持ちをそのまま心から出してしまうことは、とても大切なことなのだと思います。 |
このようなことが起こると、雪解けの春はご住職夫妻にとって辛い思いを呼び起こすきっかけとなってしまいがち。
しかしながら、春が来るたびに鷹丸くんがご両親に伝えたかった「春の訪れを喜ぶ気持ち」が、ご住職夫妻の心に届いていたら良いのになあと思います。 |
2013/12/1 長原恵子 |