もう亡くなってしまった私の友人たちひとりひとりが、今は暁の彼方の幸福な世界とこの世とのあいだの新しいかけ橋になっていることを、私は信じて疑いません。
その人たちの手の感触が感じられなかったり、彼らの優しい言葉を聞けなかったりすると、私の魂はときとして悲しみに沈みこみます。けれども、信仰の光はけっして私の青空から消えてしまうことはなく、私はもういちど心を取りなおして、彼らが自由であることを歓ぶのです。
私には、なぜだれもが死を恐れるのか理解できません。この世の生は死よりももっと冷酷です。なぜなら、生は別離や離反をもたらしますが、死のほうは、本当のところ永遠の生であり、再会や和解も可能だからです。
肉体の眼の内側にある霊眼が来世で聞かれたときには、自分の心の国で、ただ意識だけをもって生活することになるのだ、と私は信じています。私のゆるぎない思いは、肉眼の抵抗をはるかに超えて、現世の視界の彼方にある光景を追い求めるのです。
引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, p.141 |