光と花 |
高校時代、古文の副読本として使った『評解 小倉百人一首<新修版>』、当時は難しい文法や古語の理解にずいぶん苦労しましたけれども、わからないながらにも、心に残るものがありました。やがて看護学校へ進学するために上京する際、四人部屋の寮生活だったので私物の数が限られていたのですけれど、「いつかこういう本が、のんびり好きなように読める時がくるといいなぁ」そう思って、荷物の中にこの本を入れてきたことを思い出します。
いくつもの句の中で、ひときわ忘れ難い句があります。 |
ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花のちるらむ 紀 友則
≪さくらの花のちるをよめる 古今集・春下≫
古今六帖・六・花 同六・さくら 異本(第二句「光さやけき」)
引用文献:
三木幸信・中川浩文(1982) 『評解 小倉百人一首<新修版>』
京都書房, p.33 |
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このような内容です。 |
長原私訳:
うららかな春の日、あたたかく差し込む日光を背に、どうしてそんなにも急いで、桜は散ってしまうのだろうか…。
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お子さんを亡くしたご両親は、見事に花を咲かせ、そしてあっという間に散っていく花の姿に、お子さんの姿を、知らず知らずのうちに重ねてしまうことがあるかもしれません。楽しいはずの花見の人の列の中で、寂しい思いがいっぱいのご両親、いらっしゃることでしょう。
私はこの句を学んだ数年後、20歳の時に父を亡くしたのですけれど、何とも言い難い気持ちにかられた時に、何度も何度も、この句が心の中に浮かび上がってきました。
どうして早く散ってしまうのか…それに答えがないように、どうして早く逝かなければならなかったのかと考え始めても、答えは見つからないものですね。
先日訪れた静岡県の河津では、桜は満開を過ぎ、時折強い風にあおられて、花びらが足元に散り落ちてきていましたが、その散ったあとの姿も実に美しいものでした。枝の上で小さな星になって、光っているみたいです。 |
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散った花の行方について、金子みすゞ女史は「花のたましひ」で次のように詠っています。 |
花のたましひ
散つたお花のたましひは、
み仏さまの花ぞのに、
ひとつ残らずうまれるの。
だつて、お花はやさしくて、
おてんとさまが呼ぶときに、
ぱつとひらいて、ほほゑんで、
蝶々にあまい蜜をやり、
人にや匂ひをみなくれて、
風がおいでとよぶときに、
やはりすなほについてゆき、
なきがらさへも、ままごとの
御飯になつてくれるから。
引用文献:
金子みすゞ(1984)『金子みすゞ全集 2 空のかあさま』
JULA出版局, p.109
*WEBの掲載上、旧漢字を常用漢字へ当方で直しています。 |
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散り急いだ花びらは、そのまま土に還っていくのではなく、こんな風に安らかな場所で、新しく生まれ、新しい輝きを放っているのだと思うと、心のざわつきが少しは鎮まるような気がいたします。 |
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あなたのお子さんも、今は平安な場所で和やかに過ごしているはず…。 |
2014/3/15 長原恵子 |