報われる今世の苦労 |
19世紀、フランス北西部のル・アーヴル港で働いていた水先案内人の青年が、病気のため、20歳で亡くなりました。青年は思いやり深い人で、二人暮らしだった母親にも、随分親孝行をしていたのだそうです。
また、青年の家庭は貧しかったため、自分の時間が空いている時は、母親の小さな店も手伝い、働き続けて家計を助けていました。
しかしながら、残念なことに、青年は母親を遺して病気で亡くなってしまったのです。
身を粉にして仕事に励み、享楽に走ることもなく、つつましい生活をし、あたたかい心を忘れなかった青年。
母親の立場にたって考えてみれば「あの子は十分人生を楽しむこともなく、逝ってしまったのではないか?若ければ、夢や希望もたくさんあって、やりたいことも、いろいろとあっただろうに…若いうちからお金の苦労をさせ、自由に遊ぶ時間もなく、本当に申し訳なかった…」
そんな思いでいっぱいかもしれません。
青年の死を、自分の責任のように思い、罪の意識を持っているかもしれません。
でも、青年は死後、知人へ次のような霊示を送ってきたのだそうです。 |
私がいまどういう様子なのかを知りたがっているようですね。
ああ、私は今、本当に幸せですよ。本当に幸せなのです。
地上での辛い経験や苦悩は何ということもありません。というのも、それらは墓の彼方では祝福と幸福に変わるからです。
引用文献:
アラン・カルデック著, 浅岡夢二訳『アラン・カルデックの「霊との対話」−天国と地獄II−』幸福の科学出版,p70 |
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墓の彼方での祝福と幸福、それはそれは一体どういうことなのでしょう。
青年は次のように続けます。 |
澄み切った意識状態で、義務をしっかり果たした奉仕者としての自信に満たされて、しかも同時に喜びにも満たされて、すべてのすべてである主の同意を求めつつ、主のもとに還っていくとき、『地上で幸福と呼んでいるものなど、まったく何ということもなかった』ということをしみじみ知るのです。(略)
地上での苦悩や、あなたがたがの天の蔵に積んだと思っていた富をはるかにはるかに凌ぐものであるのです。
ですから、よきことをなし、慈悲の心で生きてください。
引用文献:前掲書, pp.70-71 |
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青年は自分の人生を十分生きていたのだということがわかりますね。決して貧しい環境は、青年にマイナスをもたらしたわけではないのです。
貧しさゆえに、青年は母親孝行する機会を多く得ていたとも考えることができるでしょう。母親にとってはそれが、ひたすら申し訳ない思いを引き起こすかもしれないけれど、でもそれは、青年を人間として成長させるだけでなく、この世を去った後、青年が幸せに包まれた命として生き続けることへつながったわけです。
青年は霊示を次のように締めくくりました。 |
かわいそうなお母さん、
お母さんのことだけが唯一の心残りです。
天国に還るまで、まだまだお母さんには試練が残っています。
それでは、さようなら。これからお母さんを見に家に帰ります
引用文献:前掲書, pp.
71-72 |
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孝行息子は亡くなってもなお、母親のことを心配しているのですね。
死後、幸せと平安の境地にいる青年が、その幸せの中で十分過ごせることを願うのであれば、母親がこの世の人生を幸せに生きることがキーになっていると、気付くことができます。 |
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あなたが幸せに生きることは、あなたのためでもあるし、お子さんのためでもあります。罪悪感はもう手放しましょう。 |
2014/7/17 長原恵子 |