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悲しみで心の中がふさがった時 |
ゆっくり自分自身を取り戻せますように |
それまで健康だったお子さんが、突然事故や病気で具合が悪くなり、数日の間に旅立ってしまった時、ご両親の心の中は、悲しみや涙よりも、混乱でいっぱいということがあります。泣きたいのに泣けない…。
一連の出来事が、確かに事実ではあるけれども、信じられない。
「これは現実にわが家に起きたことなの?」
「何かの間違いなのでは?」
そんなふうに思っている方も多いと思います。
そのうち、物事が決められなくなっていきます。
「今日はお昼ご飯何を食べたい?」
「お腹は減っているけど…何を食べたいかわからない。何だっていいよ」
「そういうのが一番困る」
そうした喧嘩が、何度も起こるかもしれません。
スーパーに行って、食事の材料を買おうと思っても
「こっちとこっち、どっちがいいかな?」
「わかんないよ」
「もうどっちでもいいよ」
結局、お店のフロアをぐるっと回っても、かごの中は何も入らず…疲労感だけが残って手ぶらで帰って来るという時もあるでしょう。
でも、それはちっともおかしいことではありません。
あまりにも大変なことが、短期間に次々と起こると、心の中の処理能力がストップしてしまうのです。心の容量も小さくなります。
雨風を遮る屋根も壁もない野原で嵐にあったら、あなたは小さくなって嵐が通り過ぎるのを待つのと同じです。たくさんいろいろなことが起こっても、小さくなった心の中から溢れてしまうから、心は何とかやっていけるのです。それは現実逃避しているのではなくて、自己防衛です。決して悪いことではないのです。
それなのに、
「自分はこんなこともできない…」
「こんなことも決められない…」
ますます自信をなくし、自分を無能な人間と思うかもしれません。
そういう時には、ちょっとお休みが必要です。
あれこれ考えることを、お休みです。
そして1つ1つの事柄を流していくのではなく、今日できた1つ1つのことを思い出して数えて行きましょう。
「今日はちゃんと、こどもにあたたかい朝ごはんを用意してあげられた」「今日はいつものバスに乗り遅れないで、仕事に行った」
「今日はたまっていた洗濯ができた」
そんなことできて当たり前だよ、なんて思わないでください。
人間の生活はたくさんの事柄が集合して、ようやく1つの事柄へと、できあがっていくのですから…。
そう数え始めると、実はいくつものことをあなたはできていることに気付きます。なんとなく見過ごしていた当たり前のような事柄。でもそういう事柄が積み重なって1日がつくりあげられていくのです。
まだお子さんの死が信じられず、自分がこの世に生きている実感が湧かないという方、とにかく考え込むのは今はお休みして、1つ1つの小さなことに自信をもってください。
そのうち、悲しむことができる心のスペースが広がって、涙がたくさん溢れてくるようになるかもしれません。でもそれで良いのです。
お空に還ったあなたのお子さんは、あなたがちゃんと生きていけますようにと、お祈りしています。
ゆっくり、ゆっくり、あなたがあなた自身を取り戻せますようにと。 |
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あなたはあなたの幸せを、お空のお子さんから願われている存在だということを、どうかいつも忘れないで…。 |
2015/1/26 長原恵子 |
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