病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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大切なお子さんを亡くされた後、まだそれが本当に現実に起こったことなのか信じられず、混沌とした様々な感情で押しつぶされそうな親御さんはたくさんいらっしゃいます。でも、いざ現実の生活に目を向けると、父・母として、夫・妻として、あるいは職場や社会の中で自分の求められるあり方に追われてしまい、自分の心は棚上げしてしまうということがほとんどでしょう。
そうした時「書くこと」は、たくさん浮かんでくるお子さんへの思いを、一つずつ収まりの良い場所へ納めていくことを手助けしてくれる力があるように思います。
先日読んだあるお母様の手記には、静かな、でも非常にしっかりと浸透してくる力強いメッセージが感じられましたので、今日はご紹介したいと思います。

昭和59(1984)年6月24日、門田有生(かどたゆうき)君が誕生しました。
病気知らずの元気なお子さんだったそうです。7歳年上のお姉ちゃんにくっついて遊び、かけっこが得意で、3歳の幼稚園の運動会では一番になったほど。幼稚園のクラスの中で一番背が高く、プラカードを持って運動会を行進する有生君の姿を見てお母様は、これからの成長を頼もしく、嬉しく思っていたことでしょう。

そんな年の冬、お遊戯会の大太鼓の係だった有生君は しんどいから幼稚園に行きたくないと、言いだしました。ちょうどその頃、有生君には弟さんが生まれていたので、お母様は有生君が甘えたい気持ちだったのだろうと思い、特に気に留めなかったそうです。
その頃、有生君の顔色は悪かったそうですが、寒さのせいかと思ったお母様は、お風呂でゆっくり時間をかけて体を温めるよう勧めました。お風呂が大好きな有生君は、お父様と入るお風呂を喜んでいたそうです。

ある朝、有生君の耳の下のあたりが腫れていたので、病院を受診させたところ、普通の風邪だと診断されました。その頃から、有生君はいろいろな症状が出てきたのです。足はお母様が見て特に異常がなさそうでも、有生君は痛いと言い、トイレにも一人で立てないほどであったので、外科専門の病院も受診されました。そこでは成長痛と言われて湿布薬が出され、様子を見ることとなりました。

しかし6月の幼稚園の集団健診で、有生君は顔色の悪さと貧血を指摘されたのです。小児科医から紹介された総合病院で、一週間かけて検査が行われました。その結果、有生君の病気は神経芽腫(小児がんの一種)であることがわかったのです。それは有生君の頭、足、腰、ほとんど全身のリンパ腺に転移し、主治医からは諦めてくださいと言われてしまったのです。

でも、ご両親は諦めませんでした。そこで別の病院を紹介され、有生君は抗がん剤治療を受け、次の病院ではお腹の手術を受け、そして更に別の病院に移って放射線療法、抗がん剤治療、骨髄移植を受けました。

骨髄移植では当時1歳半だった弟さんが、有生君の白血球の型と合うことがわかり、腰骨から骨髄を取って有生君に移植されることになりました。残念なことに、そこで移植された骨髄は有生君の体の中で有効に働けなかったようです。そこで再度移植を行うことになりました。
まだ1歳半であっても、弟さんはきっとお兄ちゃんが頑張れるようにと、自分も頑張ったことと思います。その後、生着するまであと1週間乗り切れば…と言う時、有生君は粘着性の痰に悩まされるようになりました。

そして、有生君が5歳の誕生日を迎えて9日目、粘着性の痰による急性呼吸不全で息を引き取りました。人工呼吸と心臓マッサージが行われる有生君。ほんの数時間前まで、好きなテレビのマンガを見ていたのに…、ご両親は信じられない思いでいっぱいだったことでしょう。

それまで全力で看病に自分の気持ちと、エネルギーと時間を使い尽くしてきたお母様にとって、突然有生君の死によってその生活が終わってしまった時、悲しさや寂しさだけでなく、言いようのない脱力感が襲ってきたことでしょう。

今までの頑張りは夢だったのか、何だったのだろうか……と、目の前も心の中もまっ白だった。
最後に主治医の先生より、治療が強すぎたための結果であることを聞かされた時、それだけの治療を受けなければ完治できない、いや、それでも、治りきらなかったかもしれない有生の病気の重大さ、深刻さをあらためて知らされた思いだった。

引用文献:
門田家尉子(1991)
『吾子よ、永遠に 母と子の小児ガン闘病の記』潮文社, p.91

やがて、お母様はご自分の胸の内を、文字に綴って残すことにしました。

いつまでも過去にとらわれることは決してプラスにはならないと分かってはいても、感情を押さえつけたまま生きていけるほど、私は強い人間ではない。
平穏な生活がもどり、二人の子供達の健康な姿を見れば見るほど、長男のことが思い出されて仕方がない。

悲しみと苦しみの中、何かをしなければ、何かを残さなければ、と必死に文字を運び筆を運び、長い長い時を過ごしてきたことがよかったのか悪かったのか。それはともかく、自分自身の気持ちに忠実に過ごした一年であり、ただただ亡き息子のためにと思う一念で過ぎた一年であったことは確かだ。


引用文献:前掲書, pp.201-202

有生君が亡くなって5か月ほど経ったある初冬の日、お母様は有生君の弟と二人でお墓参りに行かれました。その日の気持ちを、次のように日記に綴っています。

今、お父さんもお姉ちゃんも、一生懸命頑張って生活しています。どんな時でも逃げることなく乗り越えていくということを、有くんに教えられましたので、みんな同じ思いで頑張っているんだよ。有くんがそうだったたようにね。

有くんを失った悲しみが消えることのないこと、それは当然なのです。同じ悲しみを持つ親は、皆、同じなのです。
その悲しみの心を、お母さんは英子お姉ちゃんと充ちゃんに向けてあげることで、解決する努力をしています。

それは、有くんを忘れるという努力ではなくて、有くんと同じ、お母さんの血の流れている姉弟だからです。
有くんも一緒に育てているつもりで、毎日を元気に過ごす努力をしています。


引用文献:前掲書, p.115 平成元年11月22日の日記より

悲しみが強すぎるあまり、亡くなったお子さんのきょうだい(今生きているお子さん)に向ける気持ちが、すっかり消え失せてしまう親御さんがいらっしゃいます。でも悲しみの気持ちを、今生きているお子さんたちを大事に思う気持ちへつなげていくって、すごく大切なことだと思います。
お子さんはそれぞれ独立した存在。
生きているお子さんが、亡くなったお子さんの「身代わり」のように思われ、亡き子の面影が投影されるのは、あまりにかわいそう。
「有くんも一緒に育てているつもりで、毎日を元気に過ごす努力」というお母様の姿勢は、とても重要だと思うのです。

それから1か月ほど経った頃、次のように記されていました。

この二年間は、大自然が我が家に最大の「悲しみ」という荷物を与えました。でも、きっと背負い切れないものではないのでしょう。それに、お父さんもお姉ちゃんも、きっとみんなで一緒に
背負ってくれると思います。
だって、それは大好きな有くんの残した荷物だもの。

この「悲しみ」の荷物を背負っていくことが、有くんとともに生きていくことにつながるから。
残った家族が力を合わせて生きていく。
有くんの分まで「頑張り」ながら生きていく。
有くんがそうであったように、どんなことにも逃げずに乗り越えていく。
それが我が家の財産となりました。

有くん、どうか安らかな心で安心して眠りについていて欲しい。有くんは永遠に家族一人一人の心に生き続けるのですからね。


引用文献:前掲書, p.138 平成元年12月29日の日記より

有生君を亡くした悲しみは、家族から消えることはないけれども、その悲しみさえも有生君の生きていた証ですものね。
そして有生君を思い出すことは、悲しみばかり新たに呼び起こすわけではなく、元気に家で過ごしていた頃のわんぱくな姿や、痛い検査も治療も頑張った有生君の勇姿を思い起こすことにつながるのだと思います。
先立ったお子さんにとって、自分のせいで家族が泣き暮らし、その人生から明るい可能性を追いやり、希望を閉ざしてしまう姿は、何より胸を締め付けるものでしょうから。
家庭の事情、悲しみの形はそれぞれ違うけれど、でもきっとお母様の次の言葉は、多くのご家族の胸に響くものだろうと思います。

失った事実は悲しいが、人生は決して立ち止まってはくれない。時計の針は正確に前に進み、動きを止めることなく朝をむかえ、昼が過ぎ、夜となる。同じことのくり返しで、自分以外の周りのものは、何事もなかったかのように昨日を送り、今日を迎える。

悲しいからと立ち止まっては、まだ見ぬ美しい景色も、楽しいできごとにも出会うことも出来ない。大切なことは、この悲しみ、この試練をのり越え、何を感じ何を得てどう生きていくか、である。
親というものは子供の死を決して無駄にはしたくない。
亡き息子の五年間の生かされていた足跡を、はっきりと残しておいてあげたい。

そしてどのような生き方をしていけば、その息子が最も喜んでくれるだろうかという問いを、常に頭に置いて行くことが、これからの私の生き方のような気がする。


引用文献:前掲書, pp.195-196

 
お子さんが亡くなる前、あなたは治る力と安らぎを望んでいたはず。
今、お子さんが望んでいるのは、あなたの安らぎと生きる力。
2015/7/20  長原恵子