夭逝したお子さんの魂の使命 |
このコーナーは私が大学、大学院での学びを通して出会った書籍や論文の中から、お子さんを亡くした方のお話をご紹介するページです。
随分古い歴史上に登場するような方のお話もあれば、最近のお話もあります。国内のお話もあれば、海外のお話もあります。ここでご紹介するお話は皆、お子さんを亡くされたお父様、お母様、ご家族にとって何か、心の助けになるのでは…と思えるものを取り上げたいと思います。
その中心となるものは『子を喪へる親の心』という本です。
私が大学院の「特定課題研究」に取り組む際、研究指導をしてくださった恩師I先生が、その大学の学祖がお子さんを亡くされた話を教えてくださいました。そこで、その話が掲載されている原著を読みたいと思って探したところ、70年以上前に岩波書店より刊行された『子を喪へる親の心』という本であることがわかり、古本屋で手に入れたのです。
その本にはお子さんを亡くされた親御さん何十名もの手記が、載せられていました。お目にかかったこともない昔のご両親のお話ではありますが、それぞれの悲痛な思いは70年以上の時を経て、痛切に伝わってまいりました。涙なしではページが先に進めない、そんな言葉が文字通りあてはまるすばらしい本でした。
そのはしがきに、次のような言葉が記されていました。 |
子を亡くした親達が、一堂に会してその悲哀を語り、同情の裏に冥合することに因つて、各自の悲哀の重荷を軽めようと欲したのである。
私はこの書をもて、高野山の院の傍らにある納骨堂と対照して、納霊堂にしたい。別言すれば多くの愛児達の霊を合祀するパンセオンをここに建てたつもりである。
引用文献:
村田勤, はしがきより
村田勤・鈴木龍司編(1937)『子を喪へる親の心』岩波書店,
pp.5-6 |
|
編者である村田先生が「パンセオン」と記されたのは「pantheon」のことだと思います。これは、すべての神に捧げられた神殿という意味や、国の有名な方々が埋葬された墓廟といった意味があります。
村田先生が敢えて、ここで夭逝した子ども達を回顧する親御さんの手記の集まりを「pantheon」と称したのは、それだけ実に気高く価値のあるものだ、ということを伝えたいがためだったと思います。
また、そうした手記を読むことがどのような意味があるのでしょう。
あとがきに記された、鈴木先生の言葉を取り上げたいと思います。 |
こゝに収められたる六十有余の血涙の記録。
私はいくたびか之を読みかへし、そのたびごとに新たなる感銘を得つゝこれを収録した。
そして、そのたびごとにやゝともすれば粗雑になり勝ちのわが生活はその中心を取りかへし、高められるのを感じた。
写経といふことのこゝろもこゝに聊(いささ)か窺(うかが)はれたやうに思ふ。
純真のこゝろにも増して人の心を打つものはない。加之(しかのみならず)、この一一の内容は、人の親が人生最大の悲痛時に際して、それぞれの運命と性格との異れるがまゝに、文字通り真剣に、その打撃に堪へ、その痛苦から立ち上がつた雄々しき姿の人間記録である。
引用文献:
鈴木龍司, あとがきより
村田勤・鈴木龍司編(1937)『子を喪へる親の心』岩波書店,
p.492
|
|
鈴木先生は、この手記を読むことにより、粗雑になりがちなご自分の生活が、中心を取り戻し、高められるのだと記されました。なぜそうなのでしょう。その答えとしては、後に続く鈴木先生の言葉「お子さんを亡くした打撃に真剣に堪え、痛苦から立ち上がった純真な心の記録」だから、だと思います。
そしてもう1つ、私が付け加えて良いならば、亡くなったお子さんの魂が時空を超えて、私たちの襟を正すような浄化の働きを担い続けているからだと思います。 |
|
|
亡くなったお子さんは、この世での命は短くても、その後「長い間に渡り人を導く」という大きな使命を持った魂だと思います。 |
2013/6/14 長原恵子 |