|
|
|
お子さんを亡くした古今東西の人々 |
傷心の中での学び |
皆さんは今までに、どこかで仏教のお話としてキサー・ゴータミーという女性のお話を聞かれたことがあるかもしれません。釈尊の生きていた時代のお話ですから、今から2400年くらい前のことになります。
聞いたことがない、という方のために少しここに紹介いたします。
今のインドの北部に位置するコーサラ国の都、サーヴァッティーにゴータミーとその家族が住んでいました。ゴータミーは男の子を産み、幸せに暮らしていましたが、歩き回って遊ぶ年頃になった、かわいい盛りに、突然その男の子が亡くなってしまったのです。
ゴータミーは何とか生き返ってほしいという母心から、命が蘇る薬を手に入れようと懸命に求め歩きました。
しかし人々はゴータミーの願いを嘲笑し、相手にしてくれません。
やがてゴータミーは、釈尊のところにたどり着きました。
釈尊は「まだ一度も亡くなった方がいない家から、芥子の粒をもらってくれば、蘇らせてあげよう」と、言われました。
何とか芥子の粒を手に入れたいゴータミーは、一軒一軒尋ね歩きました。しかし、どこにもそのような家はありません。
ゴータミーは、死がどの家庭にも、誰にも、等しく起きるものであることに気付き、釈尊の弟子になりました。
このお話を聞いたことがなかった、という方は、こちらをお読みになってみると良いと思います。
菅沼晃(1990)『ブッダとその弟子 89の物語』法蔵館, p.175-177
さて、誰にも等しく死が訪れると言われても、お子さんを亡くされたご両親がそんなにたやすく「そうですね」と納得するわけにはいかないでしょう。「世の中の道理はたとえそうであっても、我が子が先立つこととは別問題だ」と思う方が多いのではないでしょうか。いろいろな本を読んでも、ゴータミーが自ら気付きを得て、出家したように記されていますが、
「私はそんな悟りの境地には至らない…」と思われる方も、いらっしゃることでしょう。
私も最初はそう思いました。
偉大すぎる優等生のような例を出されても、自分との乖離が大きすぎるため、何か次元の違う人間の話をされているような感じを受けたものです。
でも、どうしてこのお話が語りつがれているのでしょう。
いろいろ考えてみましたが、死がすべての人に起こるものだ、とか無常を説くその裏側には、釈尊の大きな慈悲の心が表れているからではないかと思うようになりました。
ゴータミーを「気が狂ってしまった母親」だと、誰も相手にしなかったけれども、釈尊はゴーターミーの深い悲しみを、真摯に受け止めたのです。
「蘇生できるわけがない」と冷たく切り捨てるのではなくて、亡くなった方のいない家から芥子の粒を持ってくるように、わざわざ言われたことは自らの気付きを促す方便だと見ることができます。
でも、たとえそれが遠回りの道だったとしても、ゴータミーの強い望みをまずは受け入れ、気付きの道へと導いてくれたからこそ、ゴータミーは自発的に心を動かすことになったのでしょう。
いきなり正論や物事の道理を唱えられても、動揺深い心にはそれは届くものではありません。仏教では対機(たいき)説法という言葉があります。相手の能力、理解力、素質にあわせて、教えを説くことを言います。それは相手のレベルが低いから、それなりのことを言ってお茶を濁すといったものではありません。相手が理解することができ、心に浸透するようにという願いが背景にあるからこそ、相手に伝わるような工夫が施されたアプローチがとられるのだと思います。釈尊の「芥子の粒」のお話は、まさに対機説法の1つの表れではないでしょうか。
相手に対して「教えを理解してほしい」、そして「その理解が相手の苦しみを取り払うことへとつながってほしい」という、深い慈悲が広がっているように、私は思います。 |
|
|
お子さんを亡くしたあなたに向けられる周囲の言葉が、あなたを心からいたわり、慈しむ気持ちから発せられたものでありますように。 |
2013/6/25 長原恵子
|
|
|
|
|