父の願いと初袷 |
俳人 小林一茶は五人のお子さんがいらっしゃいましたが、そのうち四人のお子さんに先立たれました。
当時の衛生・栄養事情や住環境は、現代に比べると大変過酷な状態だったのだろうと思います。今の社会だったら予防できる病気、あるいはかかったとしても重症化が防げる病気になってしまい、亡くなることも多かったことでしょう。
一茶の最初のお子さんは、文化13(1816)年4月14日に誕生した長男の千太郎くんです。その前月、一茶は句日記に次のように詠みました。 |
小児の成長を祝して
たのもしやてんつるてんの初袷
引用文献:
校注者 丸山一彦(2003)『一茶 七番日記(下)』岩波書店, p.218 |
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そもそも初袷(はつあわせ)とは、陰暦4月1日に、それまで着ていたあたたかい綿入れなどを脱いで、裏地をつけて仕立て上げた袷(あわせ)を着ることを指すそうです。
しかし、もしかしたら一茶は、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんに袷を用意して「この袷を着せたら、丈が短すぎて手足が出てしまっておかしい(つんつるてん)ほど、どんどん、健やかに大きく成長してほしいなあ」という願いをこめていたような気がいたしました。
しかしながら、一茶の喜びも束の間、誕生した翌月の5月、千太郎くんは亡くなってしまいました。同年6月の句日記には次のように記されています。 |
千太郎に申
はつ袷にくまれ盛にはやくなれ
引用文献:
校注者 丸山一彦(2003)『一茶 七番日記(下)』岩波書店, p.239 |
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また「はつ袷」が出てきますね。
千太郎くんがもう手を通してくれることのない、真新しい袷を前にして、父一茶がぼんやり独り言をつぶやいているような、そんな情景が浮かんでくるようです。
ここで出てくる「にくまれ盛り」とは「憎まれ盛り」のこと。
どういうことなのかと思っていたら、南信濃村史「遠山」から転載されたという諺がありました。
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二つ三つは可愛い盛り、
四つ五つはやだくそ盛り、
六つ七つは憎まれ盛り、
九つ十は手習い盛り
引用URL:
http://www.mis.janis.or.jp/~takao424/kotowaza/kotowaza1.htm
南信濃村史「遠山」より転載分 |
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憎まれ盛りというのは、数え年七歳になる頃を指すのですね。
「七歳までは神の子」という表現が今でも残っていますが、子どもが夭逝することが多かった時代、七歳まで育つことができれば、過酷な環境の人間社会の中でも、これからどうにか生きていける、ということを指し示していたのでしょう。だからこそ、一茶が亡くなったお子さんに「早く七歳になれ」と呼びかけているのは、何とも悲しい響きを伴うような気がいたします。
「千太郎に申」とわざわざ書かれていますから「お父さんはそういう風にお前の幸せな成長を願っていたのだよ。しっかり覚えてほしかったなあ」そんな気持ちがこめられた一句だったのかもしれませんね。 |
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亡くなったお子さんにも、親の思いは十分届くはず。 |
2013/11/30 長原恵子 |