寒空と布団 |
宝井其角は17世紀後半から18世紀初頭にかけて活躍された俳人で芭蕉の門下として大変優れた方である蕉門十哲の一人とされています。一茶よりもちょうど百年くらい前の方です。
一茶の『おらが春』の「露の世」では長女さとちゃんを亡くしたことが綴られていますが、ここには合わせて「娘を葬りける夜」と題されて宝井其角の句が載せられています。
下記の引用1)が『おらが春』からの引用であり、2)はこの句の原典とされる『五元集』からの引用です。 |
1) 娘を葬りける夜
夜の鶴土に蒲団も着せられず 其角
2) 寶永三戌十一月廿二日、妙身童女を葬りて
霜の鶴土にふとんも被されず
引用文献:
1) 校注 矢羽勝幸(1992)『一茶 父の終焉日記・おらが春』
岩波書店, 『おらが春』より p.192
2) 勝峰晋風編(1921)『其角全集』聚英閣, 『五元集』より p.852 |
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おらが春と五元集の句、それぞれ言葉の違いは若干ありますが、そのような詮索はともあれ、この句からは、寒さのあまり、身体の芯まで冷えるような闇の中で、真っ白い霜が鶴のようにおりている、そんな土の下に眠る娘のことを思う其角の親心が伝わってくるようですね。
其角年譜(『其角全集』pp.55-57)によると、宝永3(1706)年に亡くなったお嬢さんは其角の次女、三輪ちゃんのことだそうです。
『類柑文集』(『其角全集』pp.643-645)に収められている「ひなひく鳥」の項では、三輪ちゃんがよちよち歩きで遊びまわる愛らしい姿を、見守る父、其角の視線が言葉になって表れていますが、「霜の鶴…」で始まるこの句からは、土下の娘を案じて「布団も被らず寒かろうに…」と肩を落とした其角の姿が目に浮かぶようです。
其角は人が亡くなっても、葬られた場所で生き続けているかのような思いに駆られていたようですが、他の句にもそれは表れています。三輪ちゃんを亡くされた12年前に遡ります。恩師の松尾芭蕉が逝去され、追善日記を出された時の発句が、それに該当します。 |
元禄七年十月十八日、於義仲寺、
追善之誹諧
なきからを笠に隠すや枯尾花 晋子
引用文献:
各務支考編(1974)『蕉翁追善之日記 岡山大学国文学資料叢書』福武書店, 「枯尾花「なきからを」の巻」p.47 |
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晋子とは其角の別号です。ここでは芭蕉のお墓の近くに枯れたすすきの花穂が風になびき、芭蕉のお墓の上に其角は編み笠をそっと掲げた、そんな様子が目に浮かんでくるようです。『おくの細道』の巻頭には、旅支度のために笠の緒を付け替えたことが記されていますが、芭蕉にとって笠は、旅の象徴だと言えるでしょう。また換言すれば、笠は芭蕉の人生の象徴だとも言えます。
そのように大切な笠を其角は、これから土下に眠る芭蕉の上にかけ、どうか芭蕉の身を雨風や寒さから守ってくれますようにと願ったようにも思えますね。 |
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亡くなった方への優しい気遣いは、時を超えて伝わってくるものですね。先立ったあなたのお子さんも、あなたの優しさをしっかり受け取っているはずです。 |
2013/12/10 長原恵子 |