いざよひの月と我が子 |
小林一茶が長女さとちゃんを亡くした悲しみは『おらが春』の中にも登場し、Lana-Peaceのエッセイでも取り上げました(露の世は露の世ながらさりながら 長女を亡くした小林一茶『おらが春』より)が、『おらが春』には杉山杉風の句が合わせて出されていました。 |
娘身まかりけるに
十六夜や我身にしれと月の欠 杉風
引用文献:
校注 矢羽勝幸(1992)『一茶 父の終焉日記・おらが春』岩波書店, 「おらが春」よりp.170 |
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杉山杉風(すぎやま さんぷう)は蕉門十哲の一人としても知られる方で、17世紀半ばから18世紀前半にかけて活躍された俳人です。
このような意味の句だと思います。 |
長原私訳:
陰暦十六日の夜のこと、空を見上げると、満月から少し欠け始めた月が見えました。満月でさえもこうして少しずつ欠けて、姿を変えていくのだから、この世の人間の命も、満月が欠けるが如く、永遠に続くことなどできないのだなぁ。 |
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杉風は夜空を見上げて、何度も自分の心に何度も言い聞かせたのでしょうか。何か物悲しい様子が思い浮かびます。
学研全訳古語辞典によると、いさよひのつき(十六夜の月)とは「満月の次の晩は月の出がやや遅れ、それがためらっているように思われることからいう。」とのこと。
もしかしたら本当に陰暦十六日の夜を詠んだ句かもしれないし、或いはそうではないかもしれないけれど、夜空に出て世界を煌々と照らすことを、月がためらっているとは何とも風流な表現です。
でも私は、杉風がその一歩出遅れて出てくる月の姿に、お嬢さんの姿を重ね合わせていたのではないかなぁと思います。やがて細く欠けて、姿を変えていくことをためらい、あるいは欠けていく身の上を悲しく思い、満月の十五夜よりは一歩遅れて夜空に顔を出した、そんな月の様子が、まるでお嬢さんのように思えて仕方がない、といった父杉風が目に浮かんでくるようではありませんか?
さて『おらが春』の脚注にはこの句が『続別座敷』所収、とありましたので、『続別座敷』を探してみたのですが、刊行されている本としては図書館で見当たらない。どうしようかな、といろいろと探してみたところ、早稲田大学の古典籍データベースに、元禄13(1700)年刊の写本の全ページの画像が掲載されていました。 |
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko18/bunko18
_00137/bunko18_00137_p0030.jpg |
子珊 編(1699)『続別座敷集 上』です。
そこにはくずし文字で記されていましたが、「不知夜月や…」と始まっており、どう見ても「いざよい」は「十六夜」ではなくて、「不知夜」と書かれている様子。上記URLの画像では、左側のページの最初の句です。
『おらが春』よりも150年ほど時代が遡った『続別座敷』の写本の時代とは漢字が違うけど、どうしてなのかなあ。そんなことを考えていたら、天明5(1785)年、採荼庵梅人(平山梅人)によってまとめられた『杉風句集』にも、この句が出ていました。 |
娘身まかりければ
いざよひや我身にしれと月の欠
引用文献:
勝峰晋風編(1995)『日本俳書大系 6 元禄名家句選』
日本図書センター, 『杉風句集』よりp.355 |
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ここではあえて、ひらがなにされているのでしょうか?
「いざよひ」は「猶予」とも書くもの。
なかなか決断できず、ためらう様子を表すものですが、「月が欠けていくように、人の命もやがては終わる。そうはわかっていても、なかなか自分は分別がつきそうにもないし、娘に先立たれたことを思い返して、悩んでしまう…」そんな杉風の声が聞こえてきそうな気がしてきます。 |
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月の姿が変わっていくのは、地球の周りを一巡しているから。無くなったのではなくて、ずっと変わらずあり続けるもの。あなたのお子さんも、きっと同じ、そんな風に思います。 |
2013/12/16 長原恵子 |