遺された親と先立った子どもの視点 |
それまで元気に過ごしていた大切なお子さんを、ある日突然、亡くしてしまった悲しみは、長い間の看病の末の死別とはまた異なったものだと思います。お子さんとお別れする心の準備や前段階が何もない状態で、会えなくなることは、大きな衝撃と信じられない気持ちと混乱があなたの心の中をぐるぐると駆け巡り、複雑な傷を作って掻き乱していくことでしょう。
今日ご紹介するのは、アメリカのテレビドラマ『私はラブ・リーガル2』の第12話です。お子さんとの死別の話ではありませんが、遺された方がどんな風に気持ちを立て直して生きていくのか、とても参考になると思いますので、ご紹介したいと思います。
過去に恋人のデビーを交通事故で亡くしていた弁護士のグレイソンは、ある日、同僚から、どうやってデビー亡き後の日々を生きてきたのか、質問されました。ちょうど12話の25分の手前あたりがその場面になります。
グレイソンは眠れず、食欲もなく、ただひたすらあてもなくドライブし、怒りのあまりに壁を殴ってしまったこともあると、答えました。
そしてデビーの亡くなった最初の1か月は、週に100時間働いたことを告白します。1日8時間、週5日労働であったとしても、その倍以上働き、週末も休みなく働いたということになりますね。悲しみを感じる余裕を、一切心から奪うかのように残業をしていたのは、グレイソンの心を護るために、意味があったのだと思います。でも、そのような暮らしが長く続くと、心だけでなく身体のあちらこちらで悲鳴をあげることになります。
仕事から疲れきって戻っても、穴だらけになってしまった壁の部屋には、冷蔵庫に食べるものもなく、室内の植物はすべて枯れていました。
そんな部屋でグレイソンは、次のように思ったのだと言うのです。 |
(日本語字幕より)
思ったんだ、もし彼女が見たら失望するだろうなと。それで部屋も生き方も正した。彼女にふさわしい男性になろうと…。
I remember thinking that Deb saw me...she wouldn't like the man she was looking at. So I cleand up the house, cleaned up my act.
To be the man…That she wanted me to be.
引用ドラマ:
「(邦題)私はラブ・リーガル2 」第12話
Drop Dead Diva Season2 episode12
制作:ソニー・ピクチャーズ・テレビジョン
アメリカ放送日 :2010年 |
|
日本語字幕では画面の文字数制限のためか、短めに上手に意訳されていますが、今日私がお伝えしたい視点が伝わりにくいので、あえてもう一度私訳してみますね。
she wouldn't like the man she was looking at.
(私訳:彼女が今見つめているような男を、彼女は好きにならない)
she wanted me to be.
(私訳:彼女がこうなってほしいと望んでいる僕の姿)
どちらもグレイソンは「亡くなった恋人のデビー」を主体にして、自分のことを考えているという点、お気付きになると思います。
それはグレイソンにとって、大きな意味を持ち、変わる力になりました。彼から話を聞いた同僚の弁護士は、次のように語ったのです。
(ちょうど第12話の32分を過ぎた頃です) |
(日本語字幕より)
彼は“すさんでいると彼女を失望させる”と、気づいたら、前へ進もうと思えた、と。
He told me that he was only able to move on when he started to see himself through her eyes.
引用ドラマ:
「(邦題)私はラブ・リーガル2 」第12話
Drop Dead Diva Season2 episode12
制作:ソニー・ピクチャーズ・テレビジョン
アメリカ放送日 :2010年
|
|
やはりポイントは次の点だと思います。
He told me that he was only able to move on when he started to see himself through her eyes.
(私訳:グレイソンは亡くなった恋人の眼を通して、自分自身を見つめ始めるようになり、ようやく前に進むことができた、と言ったのです。)
お子さんを亡くされた後、自分が生きていく道を見失ってしまったという方、いらっしゃると思います。生きる張り合いも、生きる支えも、生きがいも失って、「どうして自分が生き残り、子どもが先に逝ってしまったのだろう…」と思っている方、いらっしゃると思います。
悲しみとつらさで、もう窒息しそうなほどの気持ちになったら、一度、その気持ちを横において、あなたのかけがえのない大切なお子さんが、あなたのそばにぴったりと寄り添っていることをイメージしてみてください。
机の前に並んで座り、一緒にパソコンの画面を眺めているかもしれない。
あるいはあなたの膝の上に寝転がったり、肩にしがみついて、遊ぼうよとねだっているかもしれない。
あなたがしょんぼり窓の外を眺めていたら、窓の向こうで「おーい」と呼んでいるかもしれない。
グレイソンが亡くなった恋人の視点を持つことによって、自分の生き方を見直したように、あなたも「お子さん」の視点を持って元気を取り戻してほしいと思います。
「お子さん」の好きだったもの、好きだったこと、好きだった場所を、あなたが代わりにぜひ、体験してみてください。
お子さんは亡くなった後、あなたと共に生きていくことのできるチャンスを、新しく手にしていると私は思います。
この世の肉体の束縛から解放された後だからこそ、物理的な制約にとらわれず、自由に共に過ごすことのできる能力を、特に夭逝したお子さんは授けられているのだと、私は思っています。 |
|
|
あなたがこれから体験する、わくわくするような思いは、お子さんにきっとリアルにすぐに届いているはず…。
だって、いつも、お子さんはあなたの心の中に一緒にいるのですから。 |
2013/6/20 長原恵子 |