お子さんの思いを伝える鳥の声 |
先日、バスを降りて仕事に向かっていたところ、冬枯れの木の枝にとまっていた小鳥が、それはそれはきれいな声で鳴いていました。
葉も実もない寂しそうな枝。でも雲一つなく澄み切った青空に向かって、すっと伸びた枝に、一羽の小鳥が実に楽しそうに鳴いていたのです。
とても印象的で、思わず足を止めて見上げてしまいました。
鳥や蝶は、なんだか不思議な気持ちを呼び起こします。
さて今日は『拾遺和歌集』の中から、そんな鳥にまつわる歌を取り上げたいと思います。 |
生み奉りたりける親王の亡くなりての又の年、
郭公を聞きて
しでの山越えて来つらん郭公恋しき人の上語らなん 伊勢
引用文献:
小町谷照彦 校注(1990)『新古典文学大系7 拾遺和歌集』
岩波書店, p.382 |
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このような意味の歌だと思います。 |
長原私訳:
私がいるこの世と、先立ってしまった息子がいるあの世との間を隔てる死出の山を越えて、ほととぎすがやって来たのでしょうか。恋しい息子が今どんな風に過ごしているのか、どうか教えてください。 |
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この歌を詠んだ「伊勢」とは9世紀終わりから10世紀初めにかけて、優れた和歌を詠まれた女性で、優れた歌人として知られる三十六歌仙のお一人でもあります。
宇多天皇の寵愛を受け、皇子を出産されましたが、残念ながら皇子は8歳で亡くなったと伝わっています。
自由にあちらこちらと羽ばたいていける鳥は、子どもを亡くした親御さんにとっては、大切な思いを託す先なのだと思います。和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡からは、5世紀後半から6世紀中頃の石室から、渡り鳥のアジサシを胸に抱いた子どもの人骨が発見されていることは「夭逝した少年と渡り鳥」で書きました。
少年と一緒に葬られた渡り鳥は、時には少年の遊び仲間になり、時には少年を守ってくれますように、そして季節が巡ったらまたこの土地へ一緒に戻ってきてくれますように…そんな思いが込められていたように思いますが、「しでの山越えて来つらん郭公恋しき人の上語らなん」と詠んだ伊勢の心も、きっと、渡り鳥を抱いた少年の両親と同じようだったことでしょう。息子が亡くなった翌年になっても、心配で心配で仕方ない…という親心が伝わって参ります。
先立った親王の魂は、あちらの世界でも、きっと楽しく生きているはず。
それを母親の伊勢に伝えたくて、この世で声を発することのできない親王は、ほととぎすに思いを乗せてはるばるやって来たのでしょう。
そんな風に思えるようになってくると、空を見上げることは、あなたとお子さんをつなぐ一つの方法になれるのだと思います。 |
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あなたのお子さんの魂も平安な世界で、楽しく過ごしていますから… |
2013/12/30 長原恵子 |