病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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魂・霊と死後の生〜様々な思想〜
晴れやかな心を導く世界観

世の中には死後の世界があると考える人と、あるわけないと考える人、そしてあるかないかわからないけれど、あればいいなと考える人、いろいろいらっしゃいます。
そうした議論は今に始まったわけではありません。人それぞれの考えがあってしかるべきだと思います。個人的な私の考えとしては、その人の人生にとってその答えが善となるのであれば、そしてそれが他者を傷つけるものでなければ、どのような考え方であっても良いと思っています。

科学的に未だ証明できないものを信じることへの偏見は、ヘレン・ケラー女史の生きていた当時、19世紀終わりから20世紀前半にかけてあったことが、自叙伝の中に登場します。ヘレンはスウェーデンボルグの表した「天界」という世界観に深く傾倒して行きましたが、それについて、かなり強い反発を受けたようです。
「学識ある評論家の中には、私を侮蔑の臼にかけて粉々にしようとする」そのようにヘレンは記し残しています。
その語調の強さには、ヘレンの悔しい思いがよく表れていますが、それでもヘレンは屈することなく、自分の信じる世界への思いを決して曲げることはありませんでした。
それはきっと、天界という世界が、ヘレンの心を晴れやかにしてくれるものだったからなのだろうと思います。

ヘレンの言葉を見てみましょう。

かりに、逝ってしまった愛しい人たちがあの世で生きている可能性が万に一つだとしましょう。

でも、それがどうだと言うのでしょう。

私ならむしろ、私の疑いがその人たちの霊魂を悲しませるよりは、間違っていてもいいからその万に一つの可能性のほうを取り、あとになってから、それが本当かどうかを確かめるでしょう。
私は、不死の可能性が一つでもあるかぎりは、離れていった人たちの歓びに影を投げかけることがないように努めたいのです。 (略) この地上で最期の一瞬まで私たちを愛してくれた人たちと霊的な交わりを続けてゆくことは、なんと努力のしがいがあることでしょう。(略)

ある気高い愛情や純粋な歓びが湧きあがってきたとき、優しさをこめて故人をしのんだり、その人たちに強く心を惹かれたりするのは、たしかにもっとも甘美な体験のひとつです。
そして、このような信仰を自覚しているかぎり、顔から死のかげりを払拭する力や、逆境を勝ち戦さに転じる力、また喜びの最後の支えすら奪われたかに見える人たちのために励ましののろしをあげる力を、つねにもっていることになります。

引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, pp.141-142

亡くなったお子さんを思い出す時、ご両親の心の中には悲しみや悔しさや申し訳なさ…そういった複雑な感情が渦巻いている方が多いと思います。
しかし、ヘレンは、亡くなった方を偲ぶことを「甘美な体験」と表現したのです。
「甘美」という形容は、お子さんに先立たれたご両親のお気持ちとはそぐわないかもしれません。
ヘレンがそうした形容を用いたのは、なぜでしょう。
それは、肉体の限界を伴わないすばらしい世界(天界)で、故人が不死の生命を生き続けているという思想を支持していたからだろうと思います。
ヘレンはそれにより、死のかげりを払拭し、逆境を勝ち戦さに転じ、励ます力を得るのだと記しています。

何か心の中に確固としたものがあることにより、様々に派生してくる恐怖や不安に立ち向かえるということは、素晴らしいことですね。
それはきっと、知性を持つ人間だからこそ、できること。

 
心安らぐような死後の世界観をしっかり持つことは、あなたが残りのご自分の人生を生きていく上で、とても力になってくれるはず。 
2014/1/23  長原恵子