かりに、逝ってしまった愛しい人たちがあの世で生きている可能性が万に一つだとしましょう。
でも、それがどうだと言うのでしょう。
私ならむしろ、私の疑いがその人たちの霊魂を悲しませるよりは、間違っていてもいいからその万に一つの可能性のほうを取り、あとになってから、それが本当かどうかを確かめるでしょう。
私は、不死の可能性が一つでもあるかぎりは、離れていった人たちの歓びに影を投げかけることがないように努めたいのです。 (略)
この地上で最期の一瞬まで私たちを愛してくれた人たちと霊的な交わりを続けてゆくことは、なんと努力のしがいがあることでしょう。(略)
ある気高い愛情や純粋な歓びが湧きあがってきたとき、優しさをこめて故人をしのんだり、その人たちに強く心を惹かれたりするのは、たしかにもっとも甘美な体験のひとつです。
そして、このような信仰を自覚しているかぎり、顔から死のかげりを払拭する力や、逆境を勝ち戦さに転じる力、また喜びの最後の支えすら奪われたかに見える人たちのために励ましののろしをあげる力を、つねにもっていることになります。
引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, pp.141-142 |