信心と生き方の変化 |
ヘレン・ケラー女史はスウェーデンボルグの著作から死後の世界として天界という概念を知り、傾倒していきました。ヘレンが天界についてどのように理解していたのか、自叙伝の中からその記載を見てみましょう。 |
天界は彼岸にあるのではなく、私たちの心の内にあるということを悟ったとき、もはや、“別世界”などというものは存在しません。私たちは“今”“ここ”で、もっともっと働き、愛し、希望を求め、心の内にある天界の美しい色彩で身のまわりの闇を断固塗りこめるよう励まされるだけです。
引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, p.142-143 |
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天界は心の内にある、というヘレンの言葉を読んだ時、善導大師の言葉を思い出しました。善導大師とは7世紀、唐で活躍された方ですが、浄土教の大切な先達のお一人として親鸞聖人が讃えられた方でもあります。
親鸞聖人は正嘉元年(1257)10月10日、弟子の性信(しょうしん)に当てたお手紙の中に、善導大師の言葉を引用されました。
ここに取り上げて見ましょう。 |
光明寺の和尚の『般舟讃』には、「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す」と釈したまへり。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたりといふこころなり。 (親鸞聖人御消息 第十一通)
引用文献:
教学伝道研究センター編纂(2004)『浄土真宗聖典 註釈版第二版』本願寺出版社, p.759 |
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次のような意味となります。 |
長原私訳:
中国 長安の光明寺にいらっしゃった和尚様、善導(ぜんどう)大師がお書きになられた『般舟讃(はんじゅさん)』という著作の中に「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居(こ)す」と記されていらっしゃいます。「居す」という意味は、阿弥陀様の救いの御力を信じ、阿弥陀様に帰依するという気持ちを持つ人の心は、常に浄土にいらっしゃる、ということを表しているのです。 |
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善導大師の言葉は大変シンプルではあっても、その解釈はとても難しいものですけれども、私の個人的な見方を書かせていただくとすれば、この世を去った後、平安が約束された身においては、この後どうなるのだろうと心を惑わす必要はないのだからこそ、阿弥陀様の導きと救いの力に感謝しながら、この世の人生を一生懸命生きていきましょうね、という意味なのではないかと思っています。
ヘレンは天界にふさわしい生き方をしたい、と努力しました。
ヘレンと善導大師とは、もちろん異なる宗教の考え方ではありますが、どちらにも共通するのは、死後の世界が、安寧なものであると感じられることが、この世で生きる者にとって、プラスの働きをもたらすということだと思います。
天国、極楽、天界、浄土、言葉はそれぞれ違うけれども、人々の心から余計な心配や恐怖を払拭する力を備えているように思えますね。
生きている間、不安に思うことへ自分のエネルギーを費やすならば、毎日活き活きと生きることへエネルギーを費やした方が、遥かに幸せだと思いませんか? |
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いつかあなたがお子さんに再会した時、楽しい話ができるように、今は存分にご自身の人生を生きてほしいと思います。 |
2014/2/8 長原恵子 |