魂を抱きしめて、魂を生かしきる
ー茅野蕭々 長女 晴子さんー |
今日は思春期のお嬢さんを亡くされた方の言葉の中から、力になる言葉をご紹介したいと思います。
茅野蕭々(しょうしょう)先生はリルケの詩を訳され、慶應義塾大学でも教鞭をとられるなど、明治、大正、昭和にかけて活躍されたドイツ文学者でいらっしゃいます。
また奥様の雅子夫人は歌人としても活躍された方でした。
茅野夫妻は大正12(1923)年8月1日、16歳だった長女の晴子さんを亡くされました。晴子さんは何か病気を患っていらっしゃったようですが、息を引き取るまでの3時間、微笑をたたえ、ご家族と言葉を交わされました。
お嬢さんを亡くされた思いを、蕭々先生は次のように記されています。 |
お前が死ななければならなかつた時、
私は誓つた。
お前の魂を、
私の魂の中に生かしきると、
生かしきらずには置かないと。
引用文献:
茅野蕭々・茅野雅子(1937)「慟哭」, 村田勤・鈴木龍司編,
『子を喪へる親の心』岩波書店, pp.8-9
(茅野蕭々先生の箇所は「思想」大正十三年一月号にも前出) |
|
でも、そのように考えても、もう一度娘に会いたいと願いと思う気持ちを抑えることはできませんでした。茅野夫妻は次の歌を詠まれています。 |
魂はさもあらばあれ現身の恋しさの故に涙とまらず (蕭々)
神はわがこの悲しみの涙より何を学べと子を死なせけむ (雅子)
引用文献:
前掲書, p.9, 15
(※WEBの表示上、旧漢字は当方が改めています)
|
|
以前、エッセイ「されどそれがただ恋しきなり」で取り上げましたが、まだ10代の若さで先立ってしまった娘は、命や人生について考える機会を与えてくれた尊い子だとわかってはいても、恋しくて涙に暮れる日々をおくった藤原道長のことが思い出されます。
子どもに先立たれた親の心情は、いつの世も変わらないものです。
母の雅子女史は次のように記されました。 |
そしてお前の魂と、
私の魂とで、
しつかり抱きあはう。
言葉でない言葉で
かなしい心を温めよう。
人間の貧しい言葉では
どうしてこの心が歌えよう。
引用文献:
前掲書, pp.15-16(※WEBの表示上、旧漢字は当方が改めています) |
|
雅子女史は明治38(1905)年、与謝野晶子、山川登美子と詩歌集『恋衣』(こいごろも)を出された歌人です。
そのような言葉を極めた方が「貧しい言葉」と称されたのは、言葉にし尽くせない思いが、心の内にあまりにもたくさんあったからだと思います。
父は自分の魂の中に娘の魂を生かしきるのだと思い、
母は自分の魂が娘の魂をしっかりと抱きしめると思いました。
茅野夫妻は、晴子さんが魂の姿としてこの世を共に生き続けると思っていたのでしょう。 |
いつかまた汝を見る時のあることを
證(あかし)する書の世にはあらぬか。 (蕭々)
引用文献:
前掲書, p.10 |
|
次のような意味です。 |
長原私訳:
今は別れ別れになってしまったけれど、これからいつかまた、娘と再会できるのだということを、証明してくれる書物が、この世にないものだろうか。 |
|
そうした書物があってほしいという思いが、伝わってきますね。
証明してくれる書物に出会ったとしても、出会わなかったとしても、自分の心の中で「いつか娘に会うことができる」と確信を持って、毎日を生きていくということは、大きな力になると思います。
いつか会う娘にたくさんの話ができるように、しっかりと生きるために。 |
|
|
先立ってしまったお子さんの魂を、あなたの魂の中でしっかりと抱きしめて、お子さんと一緒にあなたの人生を存分に生きてほしいと思います。 |
2014/2/15 長原恵子 |