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魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 |
いつも、いつも。 |
この辺りの夜空は西新宿の都庁周辺のビルの明かりのためか、夜遅い時間になっても比較的空が明るいのですが、今日は夜の星がよく見えました。朝少し、さっと雨がふったから空気がきれいになったのかもしれませんね。昼間は空を見上げても見えない星が、夜になると光を放つのを眼にするたび、とても不思議な気分になります。
星を見ると、いつも思い出す詩があります。金子みすゞ女史の詩です。 |
星とたんぽぽ
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに、
夜がくるまで沈んでる。
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散つてすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまつて、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
引用文献:
金子みすゞ(1984)『金子みすゞ全集 2 空のかあさま』
JULA出版局,p.108
※WEBの都合上、旧漢字は当方が常用漢字に直して載せています。
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青空の海の底に沈んでいる昼の星…それはまだ常識とか、学問の枠組みとか教えられていない子どもの目に映った世界のようです。金子みすゞの言葉の世界は、異次元にふと移動したような気分にさせてくれます。
さて一光年離れた星から届く光は、一年前のもの。
その星が無くなったとしても、光は消えることなく、一年後の地球に届いているということ。
そうすると、先立ったあなたのお子さんは自ら光を放つ恒星であり、星の光とはお子さんの放っていたエネルギーだ、と考えることができるかもしれません。
お子さんのエネルギーは一緒に過ごした当時、あなたの心の中をあたたかくしてくれたことでしょう。
また、亡くなった後、天国、天の世界、極楽、浄土そういった死後の世界へお子さんが行かれたとするならば、そこからあなたのことをしっかりと見守る気持ち(光のエネルギー)は、変わらず、あなたのところに瞬時に届いているように思います。
亡くなった後、魂が光のエネルギーのような存在であるならば、あなたがどこにいようとも、お子さんとの距離は関係ないのだと思います。
だって光は一秒間に地球を七周半もするほど早いのですから。
距離の心配など飛び越えて、光のエネルギーは、あなたの元へずっと絶え間なく送り続けられ、届いていることでしょう。
あなたが一秒間、孤独を感じていたとするならば、その間にお子さんは地球をぐるぐる飛んで散歩しながら七回半も、あなたの元にやってきて「どうかなぁ」と顔を覗き込んでいるかもしれない…
一分間感じた孤独だったら、その六十倍の回数、あなたの元にやって来ている…お子さんの出番は昼も夜も関係なく。
いつも、いつも。
「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」
昼間の星も、土下のタンポポの根も、どれも美しいものを導き出すもの。
それはあなたのお子さんもきっとそのはず。 |
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孤独でどうしようもない気持ちの時は、一秒間に七回半、地球を散歩しながら駆けつけてくれるお子さんの姿を思い浮かべてくださいね。 |
2014/3/4 長原恵子 |
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