わかりあえない寂しさ |
お子さんに先立たれたご両親の中には、死後の生というものがあってほしいと思いながらも、それが単なる自分の願望ではなく、あるという証拠がほしいと思う方、非常に多いと思います。
今日ご紹介したいのは、今から約120年ほど前にあった少女のお話です。
1892年、春のこと、ロンドンに住む少女エレンさんに不思議なことが起こりました。朝方、眠っていたエレンさんのベッドサイドで、美しい光の霧が現れ、エレンさんの名を呼ぶ声が聞こえたのです。
やがてその光は楕円形になり、ある言葉を発しました。それはエレンさんと親友のジュリアさんとの間でしかわからない言葉でした。やがてその光はジュリアさんの淡い姿へと変わっていきました。
しかし、ジュリアさんは病気のため、3か月前にボストンで亡くなっていた方だったのです。ジュリアさんは何か伝えたそうでしたが、そのまま霧となって窓から消えてしまいました。
「きっと何か伝えたいことがあるのだ」と思ったエレンさんは、当時心霊研究家として有名だったW・T・ステッド氏に自動書記通信をお願いしました。自動書記とは亡くなった方のメッセージを受けて、その言葉を書き記すことです。
そしてステッド氏を通じて、ジュリアさんはエレンと二人しか知らない出来事をまた伝えました。ジュリアさんであることを確信したエレンさんは、ジュリアさんとのやりとりを続けました。
ジュリアさんは死後の世界を次のように教えてくれました。
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新しく他界した人は、地上で親しくしていた友人や親族たちがこちらで待ちうけていて、出迎えてくれます。
特に本人に深い思いをもち、心にかけていてくれた人は必ず待ちうけています。それはまるで第二の誕生パーティみたいです。
時には、本人がまだ肉体を離れきらないうちに、親しい人達の天使が来たり、天界の音楽が聞こえたり、歓迎の声を聞いたりすることもありましょう。
引用文献:
W・T・ステッド著, 桑原啓善抄訳,山波言太郎作(2008)『ジュリアの音信〜人は死なない〜』でくのぼう出版,p.16 |
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亡くなったお子さんは決して寂しい思いをしているのではなく、確かにあたたかい気持ちで過ごすことができているのですね。 |
こちらでは睡眠の必要なく、飲食の必要もありません。
こちらの友人達は、現界にあった時と同じような生活状態で、互いに仲良く生活しており、もはや衣食のための労働の必要はないのですが、何かと為すべき仕事、たとえば趣味とか、研究とか、奉仕の仕事などいろいろあって、結構忙しそつで、そしてとても楽しそうでした。
それに、びっくりするのは風景が地上と瓜二つのこと。
しかも何もかも新鮮です。目の前に山水の景観が開かれ、それが朝日夕日に輝き、その美しさに身も心も躍ります。
ここには平和があります、生命があります、美があります。
そしてそのすべての上に愛があります。
引用文献:前掲書, pp.17-18 |
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あんなことも、こんなこともさせてあげたかった、チャンスをあげたかった…と残念に思っていらっしゃるご両親、ジュリアさんの言葉からお子さんは今、とても良い場所で、のびのびと過ごしている姿を知ることができますね。安堵と嬉しい思いで、胸がいっぱいになってきますね。 |
私が初めて友人達に逢った時、ビックリする事を彼らが言いました。自分が行きたいと思えば、地上の知人達の所へも行けるから、別れの悲しみは存在しない。彼ら霊の目からは地上の友人達の姿は、逆に透明な霊に見える、こう言ったのです。
ですから私が「だったら死は存在しないじゃありませんか」と言うと、彼等はゲラゲラ笑って、
「勿論そうですよ、死なんてものは私達にはありません。死とは地上の人達が感じる喪失感、分離感でして、人生の一つの出来事なのです。死とは地上の人達の出来事で、私達には死はありません」と、言い切ったのです。
私は本当かしらと思って、では試してみようとその時思ったのです。早速地上の友人達の所ヘ行きました。工レン、貴女の所へも行ったでしょ、覚えてる?
あれがそうよ。
引用文献:前掲書, p.19 |
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どんなに年月が経とうとも「寂しい」と思う気持ちは色褪せることはありません。でもその寂しさとは、お子さんが今、いつでも好きな時に、あなたのそばに来ていると気付いていないから、増幅しているのかもしれませんね。 |
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あなたも寂しいけれど、そばにきて愛情深く見守っていることに気付かないあなたに、お子さんは寂しく思っているかも…。 |
2014/6/23 長原恵子 |