たとえ、どんな最期であっても |
エッセイ「無限の存在」でシルバーバーチと呼ばれる古代霊からのメッセージを取り上げて、先立ったお子さんの命の行方について、考えました。途切れてしまったように思えるお子さんの命が、実は決して消滅したのではなく、永遠性の中に生きていると見出せることは、衝撃的な気付きだと言えるでしょう。
シルバーバーチは「死とは何か」をこどもたちにどう説くのか、尋ねられた時、次のように答えました。 |
その子供に理解力があればの話であることは無論ですが、死とは小鳥が鳥かごから放たれて自由に羽ばたくように肉体から解き放たれて、より大きな生活の世界へ進んで行くことであると説明しましょう。
引用文献:
アン ドゥーリー編, 近藤千雄訳(2004)
『シルバーバーチの霊訓(1)新装版』潮文社, p.180 |
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「古代霊」「霊」という言葉に抵抗感を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、それをいったん横において、地球上での生から羽ばたいたこどもたちが、痛みもなく、制限もなくのびのびと生きていることを想像してみると、なんと嬉しいことでしょうか。
さて、シルバーバーチの教えによって心の導きを得て、深い悲嘆の底から立ち上がった方、武本昌三氏が本を書いていらっしゃいます。武本氏は1983年、9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空侵犯によってソ連防空軍戦闘機に撃墜された事件、大韓航空機撃墜事件で奥様と大学3年生だった息子さんを亡くされました。大変な苦悩の日々を過ごされたことが、本の中には綴られています。
そうした時間の中で、武本氏はシルバーバーチの霊訓に出会われました。そして死後、人々は無になるのではなく、赴く世界(霊界)があり、美しく、豊かなその世界で、それぞれの使命や仕事を存分に果たしていくことを知られました。それによって武本氏の心は癒されていきました。
先立った奥様と息子さんはいつもこの世に遺した家族のことを守ってくれているのだから、いつか武本氏が霊界でお二人に会える日まで、この世での生活を感謝しながら、自分なりの奉仕の道を歩みたいと考えられるようになったのだそうです。武本氏の著書『天国からの手紙―愛する家族との18年間の霊界通信』には、そうした心の軌跡が克明に記されています。死後の生のリアルさに驚きと安堵を感じ、私も読み進めました。
2000年、息子さんの誕生日にイギリスの霊能者を通じて息子さんから武本氏宛てにメッセージが届いたそうです。事故から17年経っていました。当時大学生だった息子さんも、この世で存命でいらっしゃったら、そろそろ不惑の年が近づく頃です。そこには次のようなことが書かれていました。 |
考えてみるとこの十七年の間に、お父さんにもぼくにもいろんなことがありました。
お互いに、多くのことを学び理解してきましたが、それらのことはしっかりと身について離れることはないでしょう。
ちょっと淋しいとき、悲しいときには、ぼくたちの楽しかった日々、うれしかった出来事などを思い出すことにしましょう。
引用文献:
武本昌三(2011)『天国からの手紙―愛する家族との18年間の霊界通信』学研パブリッシング, p.233 |
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自分の目に見えず、耳に聞こえず、触れる感触も得られないものに対して、それを「ある」信じることは、難しいですね。だから淋しくもなるし、悲しくもなるわけです。でもそうした感情が高まってきた時には、息子さんがおっしゃるように、共に過ごした記憶の中から心があたたかくなるような記憶を引き出すことは、心の矛先を変えることができますね。
とても大切なことだと思います。
悲しさの中に、罪悪感を感じることもあるかもしれませんね。
「自分の元に生まれてこなければ、あの子はもっと長い人生を歩んでいたかもしれない。」そんな風に、お子さんの命の長さがまるで自分のせいであるかのように、感じていらっしゃる方もいらっしゃることでしょう。
でも、次の武本氏の息子さんの言葉を知ると、そのように考えることは、決して正しくはないのだと知ることができます。 |
ぼくたちは、生まれるときには、好きな家族を自分の責任で、自分で選んで生まれてくるのですね。
友だちなどもやはり、生まれるときに、自分の責任と好みで選んでいるのです。
こういう特別の愛があることも、いまのぼくにはわかってきました。
引用文献:前掲書,
p.233
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お子さんが悲惨な事故の犠牲になった時、「死の瞬間、怖い思いをしたのではないか…」「今でもそれに怯えているのではないか…」いくら時間が経っても、そのように心配が尽きないご両親もいらっしゃると思います。
でも、武本氏の息子さんは次のようにおっしゃっています。 |
死というものは、次元が違っても、隣の部屋に一歩足を踏み入れるようなものですから。
ぼくも心は満ち足りて平静です。
引用文献:前掲書,
p.239 |
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武本氏の息子さんがおっしゃる「次元が違う」、これはきっと私たちの疑問を解き明かす上で、キーワードになるのだと思います。
死について「隣の部屋」「鳥かごの外」、そんな風に言われてもなかなかぴんとこないのは、「次元が違う」から。
死後の生、死後の世界が科学の世界で認められないのは、異なる次元の事柄を広く一般的に確認する術(すべ)が、現代科学の水準では明らかにされていないからですね。きっと。
現代科学がどうであろうとも、先立ったお子さんが「満ち足りて平静」な心でいると知ることは、この世に遺された親が生きる力を得ることにつながる…それは確かなことだと思います。 |
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お子さんはどのような最期であったとしても、今、心安らかであり、あなたに愛を送り続けていることを思い出してください。 |
2014/7/13 長原恵子 |
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