救われ、新しく生きる命 |
1912年4月、イギリス サウサンプトンからアメリカ ニューヨークへ向かっていたタイタニック号は、北大西洋上で沈没し、1,500人余りの人々が犠牲になりました。その乗客の中に、ウイリアム・ステッド氏がいらっしゃいました。ステッド氏はジャーナリストとして活躍されていましたが、霊的な事柄についても理解が深く、エッセイ「わかりあえない寂しさ」でご紹介した『ジュリアの音信〜人は死なない〜』の筆者でもあります。
ステッド氏は事故の二週間後から、交霊会に現れるようになり、長きにわたって、この世の人々に多くのメッセージを伝えてきました。それは死によって命が終わるものではなく、死後の世界があることを現世の人々に伝えるためでした。膨大な量に上るステッド氏からのメッセージは、ステッド氏のお嬢さんであるエステル・ステッド氏によって編まれ、事故から10年後、ロンドンで『The Blue Island』として出版されました。日本語では近藤千雄氏の訳によって『ブルーアイランド』を読むことができます。
死後の生、死後の世界について懐疑的な眼を向ける方は多くいらっしゃることでしょう。確かにステッド氏自身も次のように述べていらっしゃるのです。 |
私は、今度はこちらへ来てみて、地上時代に得た霊的知識が重要な点において、百パーセント正確であることを知って、驚き、かつ感動しました。そうと知った時の満足はまた格別でした。
学んでいた通りなので、驚きと喜びを同時に感じたものでした。と言うのも、根本的には絶対的な確信があったとはいえ、細かい点で不安に思うことが幾つかあったのです。
それだけに、実際にこちらへ来てみて、それが“まさか”と思えるほど、私の予想を裏切って現実であることを知り、満足したわけです。(略)
死後の様子が地上で学んでいた通りであることを知って、何ともいえない嬉しい気持ちになりました。ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれば!と、どんなに思ったことでしょう。その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした。
引用文献:
エステル・ステッド編, 近藤千雄訳(1992)『ブルーアイランド』ハート出版, pp.32-33 |
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ステッド氏は他界した知人・友人に会って、自分は事故で亡くなったのだと気付かれました。そこでタイタニック号の事故現場で、水没し、まさに肉体から離れていこうとする霊を引き上げることを、手助けしていたのだそうです。犠牲になった方々の霊は一人残らず、救われたのだそうです。その後、どうなったのでしょう。 |
その霊たちが全て救出されて一つの場所に集められ、用意万端が整ったところで、新しい土地(ブルーアイランド)へ向けて、その場全体が動き出したのです。(略)
上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。
まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。(略)
到着した時の気分の素敵だったこと!
うっとうしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。全てが明るく、全てが美しいのです。
近づきつつある時からその美しさを垣間見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、たぶん急逝した者が連れて行かれる国なのだろうなどと言っておりました。
神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。
引用文献:前掲書, pp.37-38 |
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事故を知って、犠牲者の家族はどんなに心を痛めたことでしょう。
でも、ステッド氏の話を知ると、皆その場で救われ、美しい場所へ向かうことができたのだと知ると、少しほっとした気持ちになれますね。
ステッド氏らが向かった美しい場所は、いったいどのような場所なのでしょうか。 |
もうひとつ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味(ブルー)がかかっていることでした。(略)
この土地には歴然として色彩があります。
文句なしにブルーなのです。明るい色合いの濃いブルーです。
住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が“ブルーの国”なのです。
そのことを父に訊ねてみました。(略)すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、ここは精神的な回復を得るのに絶好な土地なのだ、という説明をしました。
引用文献:前掲書,
pp.52-53 |
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悲惨な事故の犠牲になった方々は、十分に癒しの機会を得ることができるのですね。
ブルーアイランドに到着した後、どうなったのでしょうか。 |
いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。環境のすべてに実態があること、しっくりとした現実感があること。今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変らないことを知ったからです。
違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい、明るく美しいことでした。
しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。
そしてそこで、タイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。
引用文献:前掲書,
pp.38-39 |
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遺された家族にとっては、事故の悲惨さが強烈で、自分の子どもが哀れでならない…そのような思いが、繰り返し胸の中に起こってくると思います。でもその悲惨さが強ければ強いほど、悲惨さを打ち消してしまうほど、もっと強力な「救い」の力が、働くのですね。
それも、一人も残らず。 |
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悲惨な事故で亡くなったとしても、あなたのお子さんは、救われ、守られていることを、どうか思い出してください。 |