たくさんの愛情に包まれて遊ぶこども |
流産や中絶によって会えなかったお子さんのことはエッセイ「生まれ出ることのなかった命とのつながり」にて、そして死産したお子さんについては「親の幸せを霊界から願うこども」で書いてきましたが、今日はもう一つ、生まれてすぐ亡くなったお子さんに関するお話をご紹介したいと思います。メルヴィン・モース先生の『死にゆく者たちからのメッセージ』の中に出てくる実際にあったそのお話は、生まれた直後に亡くなってしまったお子さんのご両親にとって、力を分けてくれることになると思います。
6歳の女の子の母ディードラさんは2人目のお子さんを妊娠中でした。妊娠の経過は順調で、幸せな気持ちで、予定日を楽しみに待っていたそうです。しかし、生まれてきた赤ちゃんはすぐに亡くなってしまいました。
赤ちゃんの肺の機能が十分に発達していなかったため、呼吸がうまくできなかったのです。ディードラさんのショックは深く、何週間も続き、もう夫や上の娘を置いて、自分は亡くなったこどものそばに逝きたいとさえ、思っていました。
でも、ディードラさんはある光景を見たのです。
それはあまりにも不思議な光景だったのですが、それが自分の作り出した妄想や幻ではないと確信する第三者の証言を得ることにより、自分の気持ちが変わっていったのです。
自らの命を断とうとする気持ちを押しとどめることになりました。
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わたしは何週間もショックから抜け出せませんでした。
六歳になる娘がいましたが、その子を抱いてやることも、その子の前で泣くこともできませんでした。自分の身の回りにもかまわなくなり、ひとりで、ときには夜中に墓地へ行つては、ただそこに座って泣いていました。
このままでは気が狂ってしまうと思いましたし、これはいまだからいえますが、本当に死んでしまいたいと願っていました。
夫や娘のことさえも、何もかもどうなってもかまわないと思っていました。
ある晩、お墓のそばにいたときのことです。夏のあたたかな夜でしたが、突然、ぞくぞくと寒気がしてきました。あたりを見回すと、暗くなくなっていて、太陽がさんさんとふりそそいでいました。頭がおかしいように聞こえるかもしれませんが、自分が光のトンネルの中を引っ張り上げられるのを感じました。
トンネルを通り抜け、気がつくと丘の上に座って、大勢の大人と子供が遊んでいるところを見ていました。その中のひとりの大人が遊んでいるのは、わたしの赤ちゃんだとわかりました。しばらくその様子を見ていたあと、先ほどまで座っていたお墓のそばの暗闇に戻れました。
引用文献:
メルヴィン・モース/ポール・ペリー著, 池田真紀子訳(1995)『死にゆく者たちからのメッセージ』同朋舎出版, p.70 |
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家に戻ったディードラさんは夫にその話をしようと思いました。でも、その光景を夫に話せば、きっと自分が精神を病んでいると疑われるだろうと思い、夫にも娘にも話さず、胸の内に秘めていました。
そんな時、6歳の娘はディードラさんにこんな言葉をかけたのです。 |
「ママ、あたし、ママと一緒にちっちゃな妹に会いに行ったのよ。あの子、もう死んじゃったんでしょ。
今度行ったら、あたしの分もだっこしてあげてね。
いなくなっちゃってさみしいなあ」
引用文献:前掲書, p.71 |
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ディードラさんの見た光景は、決して幻や妄想ではなかったのです。
上のお嬢さんも同じ光景を見たのですね…。
きっとお嬢さんもこどもながらにも、安心したことでしょう。
亡くなった赤ちゃんは、あちらの世界で大事に育ててもらっていたのですから…。たくさんの人から大切にされ、遊んでもらっていたのですね。
この世でかわいがってもらうのと同じように…。 |
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あちらの世界でお子さんは、愛情に包まれて、大事にされています。だから心配しないで、この世に生きる家族との時間も大事にして。 |
2014/9/8 長原恵子 |