昨日、都内で開催された第6回小児肝臓・肝移植セミナーに参加してきました。「小児脳死肝移植の推進に向けて」と題されたこのセミナーでは、実際に様々な立場で、こどもの脳死、脳死移植に関わっていらっしゃる5名の方々が、演者として発表されました。
ICUで病気のこどもたちの治療に、懸命に取り組む医師、脳死判定に携わり、脳死のお子さんの生命の尊厳を最後まで守り通し、家族の意思を活かすために苦闘する医師と移植コーディネーター。そして脳死ドナーから提供された臓器を、重症な病気のお子さんに移植し、命をつなぐ医師。そうした意思と移植医療を必要とするこどもたちを結ぶ臓器移植ネットワークの方。
どのお話も、心の中にいろいろな投げかけをしてくる、深いお話ばかりでした。それは私だけそう思っていたのではないようです。
ある参加者の方は流涙しながら聴講され、また休憩時間中に「俺、泣きそうだよ」と言っていた若い医師もいらっしゃいました。
悲しい話だから泣けてくるのではありません。脳死ドナーとなったお子さんとそのご家族に直接、あるいは間接的に関わってきた方々のお話の中から、お子さんとご家族の真摯な気持ちが、しみじみと伝わってきたからなのだと思います。
脳死移植医療とは「人の死の上に成り立つ生」を意味します。
しかしながら、昨日の話を聴講していた時、
「人の死の上に成り立つ生」ではなくて、
「人の生の上に成り立つ生」を意味するのではないかと思いました。
移植医療では臓器を提供する方をドナーと呼び、提供された臓器を移植される方をレシピエントと呼びますが、
「レシピエントの生の上に成り立つドナーの生」だと思ったのです。
なぜなら脳死となったお子さんは、肉体的に死を迎えた後も、その「意思(その人の思い)・意志(こうしたいと思う気持ち)」が、「臓器提供」という形に変わり、伝えられて行くからです。
お子さんの気持ちや夢が、亡くなった後、過去形の「遺志」にされてしまうのではなく、現在進行形の「意思・意志」として生き続けていくことが脳死移植医療によって実現されていくのではないかと思うからです。
病気でお子さんを亡くされたあるお母様の言葉を思い出しました。当時のことを振り返り、おっしゃった言葉です。
「この子がこのまま、灰(遺灰)になって終ってしまうのかと思うと、いてもたってもいられなかった…」
その方のお子さんは、脳死ドナーとして臓器提供をしたわけではありません。お子さんの生きた証を残したい、でもどうすれば…
その選択の一つが、脳死臓器提供ということなのかもしれません。
大きくなったら人を助ける人になりたいという夢、そしてそう夢見る元となったこどもたちの心の根底にあるものは、大人の複雑な思惑を超えた、純粋な気持ちなのだと思います。
脳死判定され、臓器提供の自発的な意思が確固とした不変のものであると確認されると、これまでとは異なった医療介入が行われます。それは臓器をできるだけ良い状態で、レシピエントに移植できるようにするためです。人によってはそこに何か矛盾を感じ、心掻き乱されるような思いを感じられるかもしれません。でも、それは臓器保護の手段であると同時に「我が子の新しい生」を生み出すための方法のようだと思うのです。
我が子の意思・意志を過去形として葬ってしまわないための、手段。
今から25年ほど前のこと、まだ看護学生で寮生活をしていた頃に読んだ本の言葉を思い出しました。寮では何台か洗濯機があったのですが、洗濯が終わった後、すぐに取り出さないと、次に使いたい人に迷惑がかかります。うっかりものの私は用事をしていると、すぐ洗濯していたことを忘れて入れっぱなしにするため、二槽式の古い洗濯機の前で本を読んで時間をつぶしておりました。その時に読んだ本、井村和清先生の『飛鳥へ, そしてまだ見ぬ子へ』の言葉です。その後映画化・ドラマ化もされたので、ご存知の方も多いと思います。あんまり感動して、古い寮の洗濯機の前でぽろぽろ泣けてきたことを思い出しました。
井村先生は右膝の線維肉腫のため、31歳でこの世を去りました。奥様と、まだ幼いお嬢さんと、奥様のお腹に宿っていた新しい命に向けて遺されたメッセージの中の言葉です。脳死臓器提供されたお子さんとご家族の気持ちを表す言葉として、ぴったりだと思うのでご紹介いたします。 |