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魂・霊と死後の生〜様々な思想〜 |
ユングの体外離脱から考える(1)経験と共に過ごす |
体外離脱というと、何やら怪しげなオカルト世界の話のように一笑に付されてしまうかもしれません。でもそれが心理学の大家ユングによる体験談であったとしたら、どうでしょうか…。
今日は心理学を専攻されていない方であっても、きっと大変多くの方が名前を耳にしたことのあるカール・グスタフ・ユング氏(Carl Gustav Jung, 1875-1961)の体外離脱のお話から、いろいろ考えて行きたいと思います。
ユング氏は自伝の中で自らの言葉でその経験を綴っているのです。
1944年、ユング氏は心筋梗塞、足の骨折に見舞われ、危篤に陥ってしまいました。当時、ユング氏のケアをしていた看護師は、彼が明るい光に包みこまれているかのような現象を見たのだそうです。それは死に逝く方々に何度も見た現象と同じだったのだそうです。その頃、ユング氏自身は地上から離れ、何と高度約1,500キロメートル!地点から宇宙から地球を眺め、インド半島、ヒマラヤ、アラビア砂漠、紅海、地中海…そのような広大な風景を眺めていました。そしてインド洋を背にした時に、ユング氏は巨大な石のかたまりを見つけたのだそうです。入口から廊下が続き、その奥は礼拝堂に通じているもののようでした。 |
私が岩の入口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。つまり、私はすべてが脱落して行くのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。
しかし、残ったものもいくらかはあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったことのすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。
それらは私とともにあり、私がそれらそのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人聞はそうしたあらゆる出来事からなり立っていた。私は私自身の歴史の上になり立っているということを強く感じた。
これこそが私なのだ。
「私は存在したもの、成就したものの束である。」
この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、同時に非常に満たされた感情をも抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。最初は、なにもかも剥ぎとられ、奪われてしまったという消滅感が強かったが、突然、それはどうでもよいと思えた。すべては過ぎ去り過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりもなく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り取り去られても惜しくはなかった。
逆に私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。
引用文献:
A.ヤッフェ編, 河合隼雄ほか共訳(1973)『ユング自伝 2』みすず書房, pp.126-127 |
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臨死体験をした方は口々に自分の人生のすべてを一気に見た、という経験をお話されます。ユング氏に起こったことも、まさにそれと同じではないでしょうか。ここで注目したいのは「経験したこと」は決して失われない、ということです。
お子さんが病気、事故、災害で先立ってしまった後、もっと何かしてあげたかった、買ってあげたかった、そんな思いでいっぱいのご両親は大変多くいらっしゃいます。でも、あなたはお子さんが生きていらっしゃった時、たくさんの愛情を注いでいたことと思います。
お子さんはあなたから大切に思われ、大事にされ、良くなってほしい、幸せになってほしいと願われたのです。その「経験」は心地良さとなり、何物にも替え難いでしょう。あちらの世界に行く時に、こちらの世界の物を持って行くわけにはいきませんが「経験」はユング氏が記したように、決して失われないのです。
それが何より心強く、そしてあちらの世界で過ごすお子さんにとって頼りになるものなのです。
ずっと入院していて、生まれてから一度も旅行に連れて行ってあげることができなかった…と悔やんでいる方も大丈夫です。「どこに行ったか」が、経験を量るものではありません。
寒そうだから、靴下をはかせて布団を掛け直してあげる、そんな日常の小さな行為であっても、それはお子さんに対する愛情のあらわれの一つです。ディズニーランドに連れて行ってあげたいと思う気持ちと、根っこの部分が一緒です。寒さから守ってあげるのも、楽しい経験をさせてあげるのも、お子さんが「大事に思われている」からこそ生まれる行為。どちらであっても、お子さんにとってそこで得られる心地良さは同じですから…。 |
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あなたに愛され、大事にされたお子さんは、今もその経験をずっと持ち続け、心地良い気分で過ごしています。だから心配しないで。 |
2014/12/26 長原恵子 |
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