Bunkamura ザ・ミュージアムでの展示 「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」では、いろいろと、生と死について考えるきっかけが多くありました。
当時、交易や流通の発展によって、経済の繁栄が築かれていったわけですが会場の解説板によると、教会では利子を金銭で取り立てることを禁じていたそうです。
その理由は貸付時と利子の受領時の間にある時間を売ることになり、時間を取引することは神にのみ許された領分であるから、なのだとか。
時間の取引…確かにそれが神に許された領分であるならば、こどもを亡くした親や家族にとって、先立たれた後に流れる時間が、せめて、過酷な状況を次々ともたらすような厳しい時間ではなく、ダメージを受けた心が少しずつ癒えていく時間になるように…
そうしたご加護を親や家族に降り注いでくれますようにと願わずにはいられません。
また、当時、女性は出産最中に自分の死を強く自覚し、折に触れて、自分自身の最後の意思を書きとらせていたのだそうです。
人生を生み出す時に自覚する人生の終わり。でも、そう考えることはきっと悪いことばかりではなかったはず。
新しい命を慈しみ、大切に育む気持ちにつながっていったのだと思うのです。
神の存在を絵画やテラコッタといった形で具現化したものは、きっと、日常の暮らしの中で神に近付きたいと感じた心の表れと思います。
人によってはたかが絵画、たかがテラコッタと思うかもしれないけど、
それが何百年もの間、たくさんの人の手を経由して大切に受け継がれ、
今の時代に伝えられてくるうちに、それ自身に何か不思議な力が宿ってくるような気がするのは私だけなのだろうか? |