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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア |
古作貝塚 女性とこどもの人骨
(飛ノ台史跡公園博物館 展示パネル写真) |
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合葬人骨出土状況 (展示パネルを撮影※1) |
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(撮影許可あり) |
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場所・時代:
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古作貝塚,
千葉県船橋市,
縄文時代後期,
1983年発掘 |
パネル所蔵先: |
飛ノ台史跡公園博物館(千葉) |
出展先・年: |
飛ノ台史跡公園博物館(千葉)常設展示, 2017 |
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昭和58年(1983)、千葉県の中山競馬場敷地内にある古作貝塚にて、船橋市遺跡調査会による第2次発掘調査が行われました(※2)。
そこで縄文後期の人骨44 体が出土しましたが、女性と小さなこどもが一緒に埋葬されている例が含まれていたのです。 |
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※2 1983年当時の古作貝塚周辺
(中山競馬場) |
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本ページ一番上の写真(※1)は、発掘当時のその女性とこどもの人骨の写真です。飛ノ台史跡公園博物館内の解説パネルにあったものを撮影してきました。
右のモノクロの図(※3)は山田康弘先生の論文の中に登場する図を抜粋したもので、※1の見取り図に相当します。7号と書かれているのが壮年期の女性の人骨で、8号人骨が2~3歳と推定されるこどもの人骨です。女性の大腿部あたりに見える9号人骨は乳児期の頭蓋骨の前頭部で、眼のくぼみの部分を上、すなわち空を仰ぐような形で出土しました。
改めて※1の写真の7号・8号人骨の頭の部分を拡大してみると(※4)、女性はこどものあたまを引き寄せて、右腕でこどもを抱きかかえているかのようです。やや前屈気味の女性の頭の角度は、こどもを慈しみ、大丈夫よと語りかけているかのような雰囲気が滲み出ているように感じられます。
右下のイラスト(※5)は、飛ノ台史跡博物館に展示されていた解説パネルを撮影したものです。7号人骨、8号人骨の埋葬された状況の想像図となります。9号人骨が含まれていないのが残念ですが…。
きっと3人は家族だったのでしょう。何かの理由で3人同時期に亡くなったのかもしれません。食中毒? 伝染病? 災害? 争いに巻き込まれて…? その理由はわからないけれど、遺された人々が3人のことを不憫に思い、1つの土の穴の中でいつまでも眠れるようにと、埋葬したのでしょうか。3人が死後もずっと一緒にいられることを願って…。
そう考えると、縄文時代の人々は死後の生、死後の世界を大事に考えていたのだろうと思います。 |
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※3 7号,8号,9号人骨の出土状況図 |
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※4 写真1の拡大 |
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※5 母子が埋葬された様子の想像図 |
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引用資料:
※1,2,4,5 飛ノ台史跡公園博物館 展示解説パネル
※3 山田康弘(2013)「縄文時代における部分骨合葬」国立歴史民俗博物館研究報告, 第178集, pp.57-83, 図2 部分骨合葬の諸例(黒ヌリは部分骨) 論文内p.64より該当箇所抜粋
参考資料: 山田康弘(2014)『老人と子供の考古学』吉川弘文館 |
2017/10/28 長原恵子 |
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