金の葬送用マスク
(国立サウジアラビア博物館所蔵) |
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品名: |
葬送用マスク |
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出土・時代: |
テル・アッザーイル出土,
1世紀頃 |
素材・寸法 |
金製, 17.5×13cm |
所蔵先: |
サウジアラビア国立博物館所蔵 |
展示会場: |
2018/4 国立東京博物館『アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝』(写真撮影許可あり) |
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上野の東京国立博物館で開かれていた『アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝』に、美しい金のマスクが出展されていました。あまりに美しい輝きを放っていたのですが、それが2000年前に少女を埋葬した際の副葬品であったと知って、一層驚きました。当日はこの展示品に関して1枚パネル解説があったのですが、情報が少なかったのでいろいろ調べてみました。その中で2010年に開催されたパリのルーブル博物館特別展冊子『Roads of Arabia』の中でClaire Reeler氏とNabiel Al-Shaikh氏が寄稿されていた「THE TOMB OF THAJ」にこのマスクに関したことが詳しく記されていたので、今日はそちらも参照しながら、ご紹介したいと思います。
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1998年の夏、サウジアラビアの東部州の州都ダンマーム博物館の考古学者グループが、サージュ遺跡近郊の丘で発掘調査を行っていました。後にテル・アッザーイルと名付けられましたが、ちょうどアラビア半島の東側中央に位置します。 (写真1)。
その丘は高さ5.7m、直径55m。灰や陶器、香炉、素焼きの人形などいずれも壊れてしまったものがたくさん集まって、丘を形成していると考えられていました。 |
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発掘を進めていくうちに突然、試掘用の坑の片側から開口部が現われました。そしてそこには棺を納める石室があったのです (写真2)。切り出された石灰岩で構成された石室は、7つの石板が蓋のように覆っていましたが、石板は壊れていました。 |
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そのため、これまでの他の石室例のように、きっとこの石室も盗掘された後だろうと、発掘チームはがっかりしたのでした。しかしその壊れた石板のかけらを取り除いてみると、なんと土の中から黄金のマスクが現われたのです。それも美しい葬送用品を伴って。
まさかこんなに立派なものが盗掘を免れてひっそりと眠っていたとは……発掘チームのメンバーも驚いたことでしょう。 |
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長さ2.1m、幅1m、深さ1.25mの石室の中には一人の少女が埋葬されていました。金のマスクは少女の顔の上に置かれ、首には2本の金のネックレスがかけられていたのです(写真3)。
仰向けにまっすぐ身体を伸ばして埋葬されていた人骨(写真4)は頭側は南、足先は北を向いていました。そしてこの人骨は6歳前後で亡くなった少女だと判明したのです。
亡くなった人のお顔の上に金製のマスクと聞くと、古代エジプトの王 ツタンカーメンのミイラの黄金マスクをイメージするかもしれませんが、今回のマスクは頭部から顔、首まで覆ってしまうものではなく、顔の中心部を覆うだけの薄い小さな皿のようなマスクです。こうした葬送用マスクは紀元前に遡る古き時代から、古代ギリシャ等で随分出土しているようです。 |
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さて右の写真は少女の首にのせられていたペンダントです。6歳の少女の副葬品とは思えないほど、非常に立派なつくりのものです。
長さは38.5 cm, ペンダントヘッドの直径は5 cmもあります(写真5)。金、真珠、トルコ石、ルビーで彩られたペンダントヘッドの中央には、黒いカメオの顔が配されています。女神や天使を図像化したものでしょうか?少女を守るためのものでしょうか?それとも少女の顔を特別に彫らせ、ネックレスに仕立て上げたものでしょうか?
写真ではうまく伝わりにくいのですが、宝石の形はよく考えられていて、それらがシンメトリーに配置されています。 |
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こちらのネックレス(写真6)も同じく金、真珠、トルコ石、ルビーで作られたもので、長さは22.5cmです。これだけしっかり粒のそろった宝石のネックレスを手に入れることは、本当に大変なことだったでしょう。
少女の左側には純金のブレスレット(写真7)、そして胸には金の手袋(写真8)が置かれていました。手袋といっても、実際筒型ではなくて、平型のもので手袋の端から中心に向かって、少し隆起したものです。 |
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また会場に実物は出展されてはいませんでしたが、「THE TOMB OF THAJ」によると少女の身体の周りには、大小200以上の凸型の金のボタンが見つかりました。そしてセットと考えられる金の指輪も2つ見つかりました。ルビーが埋め込まれたその指輪は1つは恐らく女神アルテミスで、もう1つはヘルメットをかぶった男性の横顔像が施されていたのです。
18個の金のビーズでできたネックレスも見つかりました。
また、頭頂部には3本の金のベルトが掛けられていました。頭の左右からは金のイヤリングが2つ見つかりました。そして腹部の上には金のベルトが置かれていたそうです。
身体のいたるところが金製の装飾品によって覆われていたというわけですね。少女を埋葬する時、一つずつのせられたこれらの装飾品。その上にはきっと、いくつものご両親の涙が落とされたことでしょう。 |
石室の床面は白い石膏で覆われ、少女はその上の木製ベッドに横たわっていました。ベッドは鉛と青銅で覆われ、地中海のモチーフの飾りが施された特製のベッドでした。
ベッドの脚には若い女性の像がデザインされており、当日出展されていました(写真9)。ベッドの脚というよりも、その女性像単独だけでも十分美しいものです。優しい表情をしています。ベッドの脚という言わば縁の下の力持ちのようなところに施された、この女性像。少女のことを守る存在なのかもしれませんね。
そして棺の金箔飾(写真10)にはギリシャの神様、ゼウス神や女神アルテミスの図像が型押しされていました。ゼウス神と女神アルテミス、その他のモチーフ等から、この少女が埋葬されたのはアラビアで約2000年前のヘレニズム時代だと考えられました。 |
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当時アラビアは地中海エリアと貿易で結ばれており、アラビアの南方からは香料が輸出されていました。当時の貿易ルートの一つがこのあたりを通っていたのです。大変豪華な副葬品が出土していることから、貿易で財を成した富裕家族が当時の風習に従いながら、少女を手厚く葬ったと推測されています。
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幼い少女の旅立ちに家族はどんなに胸を痛めた事でしょう。美しいペンダント、ブレスレット、数々の金製品……それらは死後の世界でも少女をいつまでも美しく引き立ててあげたい、といった親の願いが表れているかのようでした。そして2000年という長い年月を経ても、その輝きと美しさが損なわれることなく続いている事実に(もちろん発掘後、汚れを落とす作業などは行われたのでしょうが)、改めて一層の驚きを感じてしまいます。
なおこちらの遺跡は後にTel Al Zayer(テル・アッザーイル)と名付けられました。それは発掘チームの責任者でもあり、ダンマーム博物館館長でもあったWalid Al Zayer氏に捧げられたものです。残念ながら発掘期間中、交通事故により悲しい最期を遂げたことから、遺跡の名前に追悼の思いが込められたものです。 |
【写真】
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※ 1 |
テル・アッザーイル地図 |
※ 2 |
テル・アッザーイル石室 |
※ 3 |
出土時の様子(少女の全身) |
※ 4 |
出土時の様子(マスクとネックレス) |
※ 5 |
金, 真珠, トルコ石, ルビー,
長さ38.5 cm, 円盤直径5 cm |
※ 6 |
ネックレス, テル・アッザーイル出土, 1世紀頃, 金, 真珠, トルコ石, ルビー,
長さ22.5cm |
※ 7 |
ブレスレット, テル・アッザーイル出土, 1世紀頃, 金製
最小径4 cm, 最大径5.5 cm |
※ 8 |
葬送用手袋, テル・アッザーイル出土, 1世紀頃, 金製
長さ15cm, 幅4.5cm |
※ 9 |
葬送用ベッドの脚, テル・アッザーイル出土, 1世紀頃,
鉄, アスファルト, 鉛,
高さ46cm |
※ 10 |
棺の金箔飾, テル・アッザーイル出土, 1世紀頃, 金製,
直径3.5 cm |
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写真1〜3は2018年国立東京博物館特別展『アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝』展示解説用パネル撮影
写真4〜10は同展覧会展示品撮影
(写真1〜10いずれも2018年4月当方撮影, 撮影許可あり) |
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【参考資料】 |
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2018/6/25 長原恵子 |