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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア |
埴輪 猪
(東京国立博物館所蔵) |
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品名: |
埴輪 猪(重要文化財) |
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数量: |
1個 |
寸法: |
高さ50.2cm, 幅58.0cm |
出土: |
群馬県伊勢崎市大字境上武士字天神山 |
時代: |
古墳時代・6世紀 |
所蔵先: |
東京国立博物館所蔵 |
展示会場: |
2017/11 東京国立博物館 平成館
列品番号 J-36889(写真撮影許可あり) |
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こちらのイノシシの埴輪は群馬県の天神山古墳(前方後円墳)の前方部の基壇上に、犬形埴輪と一緒に置かれていた(※1)ものだそうです。既に縄文時代の人々は、食用としていた野生のイノシシを得るために、飼育犬と共に狩りに繰り出したと言われます。イノシシと犬の埴輪が一緒に置かれていた、ということは、古墳に埋葬された人が死後の生活において、空腹にならないようにいつも食料が確保されていますように…といった願いが込められていたのかもしれませんね。あるいは猪突猛進するイノシシの迫力にあやかり、被葬者を力強く犬と共に守ってほしい、という願いがあったのかもしれません。
古墳時代よりも更に遡った縄文時代晩期にも、既に人々がイノシシを大切に思っていたことがわかる出土物があります。北海道函館市の日の浜遺跡から出土したイノシシのこども「ウリボウ」の土製品(※2)です。当時の北海道にはイノシシは生息していなかったのだそうですが、なぜイノシシの土製品が出土しているのか……?そこがとても注目すべきところです。
その理由について、譽田亜紀子氏はイノシシの持つ生命力に着目されています。けがをしても非常に強く、多産であるイノシシ。そういったイノシシの生命力を別の仲間に伝え、あやかりたいと思った縄文人が、イノシシを連れて丸木舟で津軽海峡を渡り、イノシシはお守りのような小さな土製品に姿を変えたのだろう(※3)という考え方です。
また宮城県気仙沼市の田柄貝塚は縄文時代後期前半から晩期前半の貝塚ですが、ここから埋葬された22体の犬と共に、イノシシの2頭の全身骨格が見つかっています。イノシシは乳歯の萌出の様子から生後1.2ヶ月位の幼獣(※4)と生後6ヶ月以前の幼獣(※5)と判明しています。全身の骨格がわかる状態できれいに出土していることから、食用とされたイノシシの骨が単に廃棄された跡なのではなく、人々が大事にしていたウリボウが幼く命を終えてしまったことを悼み、埋葬した跡なのかもしれませんね。 |
イノシシは装飾品の材料としても用いられていた軌跡があります。右の腕輪は弥生時代後期の品で、神奈川県三浦市の洞窟から出土したものです。イノシシの牙で作られた腕輪の一部ですが、牙は薄くスライスされて、美しいカーブを描いています。とても慎重に加工されたこと考えられます。 |
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イノシシは古くから人々の暮らしの中で、また死後の世界においても様々な意味を持ちながら、長く愛されていた動物と言うことができます。 |
牙製腕輪 1個
神奈川県三浦市毘沙門C洞窟出土
弥生時代(後期)・1〜3世紀
東京国立博物館所蔵,
列品番号 J-37003-6
当方撮影 2017/11(撮影許可あり)
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<引用・参考文献, ウェブサイト> |
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2018/7/31 長原恵子 |
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