病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
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極上の微笑の時間を過ごせた少女

今日はデイヴィッド ケスラー(David Kessler)氏の本に登場する実話をご紹介したいと思います。ケスラー氏は死に逝く人や遺族の心のケアにあたる実践家であり、南カリフォルニア緩和ケア委員会の病院協会(Hospital Association of Southern California Palliative Care Committee)の会長でもあり、災害や事故による死別の分野でも活動されている方※1です。
彼の著書『死は永遠の別れなのか: 旅立つ人の最期の証言から』にはDeathbed phenomena(DBP:臨終時現象) について医療関係者からヒアリングしたものがまとめられていますが、そこに12歳の少女のお話がありました。

生まれつきいくつもの病気があり、数え切れないほどの手術を受け、12歳でこの世を去った少女の名はジュリー。ジュリーの死後、母親はアメリカのイリノイ州で死別と悲しみの研修会に参加したのでした。一日通して開催された研修会の昼休み中、彼女はパティ講師の元に歩み寄り、ジュリーの話をしました。パティは30年以上ホスピスに勤め、配偶者を亡くした人々のための支援グループの育成に関わり、主に死別した人々を支援するクラスで講師を務めていたのでした。

ジュリーが半身不随となり、ベッドや車椅子で過ごしていましたが、亡くなる最後の週辺りにある変化が起こったのでした。部屋の角を見上げ、晴れやかに微笑み、まるで久しぶりに親友に再会し、嬉しくて興奮しているかのように夢中で手を振るようになったのです。ジュリーは手話でコミュニケーションをとっていましたが、母の尋ねる手話にさえ気が付かないほど、部屋の角に夢中になっていました。しかしそこは母が見る限り、特に何か変わった様子があるわけではありません。ジュリーはようやく落ち着くと、母親に驚きの内容を話しました。なんとイエス・キリストがそこにいたのだと。ママは見なかったの?そんなやりとりが母親とジュリーの間で、亡くなるまでの間に少なくとも3、4回あったのだそうです。

ジュリーが部屋の角でキリストの姿を見ていない時、ジュリーは母に手話でこう伝えました。

「イエス様は、子どもを天国に連れていくために来てくれるって知ってた? そうやってイエス様はすべての人を幸せにするんだわ」


引用文献:
デイヴィッド ケスラー著, 渡邉みどり訳(2011)『死は永遠の別れなのか: 旅立つ人の最期の証言から』東京書籍, p.173

ジュリーの母にはキリストの姿は見えません。しかし、これほど喜ぶ娘の姿に母親は安堵したことでしょう。幸せそうに部屋の角に手を振る娘の様子を写真に収めました。それは誰か他の人にその話をした時に、信じてもらえないかもしれない、と思ったからでもあります。せめて至福の表情の娘の写真を残しておけば、キリストを見たことによってどんなに娘が幸せを感じていたのかが他人にもわかってもらえ、娘がキリストを見たという事実を証明する手立てになると思ったのでしょう。母親はその写真をパティ講師に見せました。そこには確かに、この世のものとは思えないほど、言葉にならないほど素晴らしい笑顔のジュリーが写っていたのでした。

ジュリーの笑顔は、パティ講師にとっても非常に大きな救いになり、宝物になりました。パティはその研修会に講師として参加していましたが、自身もまだ7カ月の男の子の新米ママだった25歳の頃、交通事故で夫を亡くしていた死別経験者であったからです。

この出会いで、わたしは、自分の夫についても大いに慰められ、安らぎを得ることができました。命が尽きようとしたときに夫が最後に見た顔はぶつかってきた相手ドライバーではなかったことを、この世界の最後の顔がイエスであったことを心から願っています。あの短い一瞬、ジェイソンは若い妻と子どもを家に残し、交通事故で死ぬ男ではなく、天国の家に導かれる人だったのでしょう。

引用文献:前掲書, pp.173-174

パティが夫との死別後、自分自身の悲しみや衝撃とどう向かい合って来たのか、その辺りの詳しい話は残念ながら出てきません。しかしジュリーの話によって心が癒されたということは、亡くなる直前の夫が、事故の恐怖におののいていたかもしれない、と不安に思っていたのかもしれません。本人しか、その瞬間のことはわからないのですから……。

「キリストを見た」という話を病院ですると、それは脳内の酸素不足によって幻覚が生じている、と判断されるかもしれません。しかしジュリーのように意識がはっきりし、親との受け答えもしっかり手話でとれる状態であった人が幻覚を見ていた、と考えるのは、どうも違和感があります。ジュリーは本当に見ていた、と考える方が自然ではないでしょうか。

ジュリーの死は長い病気の末に迎えたものであり、パティの夫の死は交通事故によるある日突然の出来事でした。ジュリーは何度もキリストを見ましたが、それは死を自覚した長患いの者への救いなのかもしれません。亡くなる前にそうした救いを得て、人は平安な気持ちを胸一杯に広げて亡くなるのだと知ることができれば、残された家族の波立つ心は少しは穏やかになっていくことでしょう。

ジュリーは12歳で生涯を閉じたけれども、亡くなった後もなお、母親の口を通して死別で悲嘆にくれる人々の心を救う貴いお役目を果たしているとも言えますね。

亡くなる前にキリストを見た、という話は日本にもあります。以前こちらで取り上げましたが、「荒城の月」の作詞者として名高い土井晩翠氏のご家族の話です。土井夫妻の長女 照子さんのお話です。照子さんは女学校の学生だった19歳の頃に結核を発症し、27歳で亡くなりました。亡くなる前日、照子さんは空中に向かって手を挙げて「エス様ありがとう」と100回以上お礼の言葉を繰り返していたことが母八枝氏の手記(※2)に綴られています。

人は皆、救いを得て旅立てるのだと私は思います。信仰のある人はその神様、仏様の姿を得て。そうでない人も先立った深いご縁のある人の導きによって。
 
2019/5/4  長原恵子
 
参考サイト:
※1 David Kesslerプロフィール ウェブサイト
※2 土井八枝(1937)「照子の思ひ出」村田勤・鈴木龍司『子を喪へる親の心』岩波書店, pp.142-156