病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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山崎正董(やまさき まさただ)先生は明治、大正、昭和にわたり活躍された産婦人科医です。山崎先生は満20歳と11カ月であった次女の順子さんを腸捻転のために亡くされました。順子さんは手術を受けましたが、残念ながら発症から37時間後、永眠されたのです。
順子さんはそれまで大きな病気をすることもなく過ごし、父上の原稿書きのお手伝いをされていました。その急変に、ご家族の驚きと混乱と嘆きは非常に大きかったことだろうと思います。
医師であり、父である山崎先生の葛藤は、次のように綴られています。

理智の上からは、死を十分に覚悟しても、感情の上からは猶もその肯定を否まずには居られません。
否死ぬと思ふことそれが恐ろしいのであります。

引用文献:
山崎正董(1937)「筆をさがして」, 村田勤・鈴木龍司編,
『子を喪へる親の心』岩波書店, p.42
(※WEBの表示上、旧漢字は当方が改めています)

順子さんは術後、いくらか言葉を交わすことができたようで、原稿書きの仕事のことを気にかけて、母上に尋ねられていたそうです。そのような様子の順子さんに、もう人生の残り時間がほとんどないことを、山崎先生はとても告げることはできませんでした。
最期の言葉は『今筆をさがして居ます』だったのですから…。
順子さんの死後、順子さんに本当の病状を言わなかったことについて、山崎先生は大きな苦悩を抱えることになりました。

順子が到底助からないものとの見込がつきましたなら、それを彼女に打明けるのが本当の道で有るかも知れませぬし、又それを打明けても、順子は毅然として平静を失はなかつたかも分かりませぬが、意気地のない私はそれを敢てすることは出来ませんでした。(略)

さして遺言などのあるべき訳もありませぬ。強ひて言はしめたなら、父母の恩を感謝すると共に親に先立ち行くことを詫び、骨肉の健康や立身を希うたことと思はれます。が、それを聞かされたら、私共は唯断腸の思をなすばかりでありませう。……

愛するわが子の死に当つては、その病気の治せざることを生前に知らしめるのが本当で、仏教ならば念仏を唱へさせ、基督教ならば祈祷を捧げしめるべきだと言ふ人が少なくありません。(略)
情に脆い私は虚言を言つても子に気を落させないのが親の温情で、とりわけ生を欲して居る子供に対してはさうあるべきだと思ひます。

真実の愛がないことになるかも知れませぬが、寧ろ私は、どうせ死ぬものならば、順子のやうに死ぬとは思はずに眠り、そのまま覚めないのがよいと考へます。
私は子の死に対してばかりでなく、私自身もかくの如くしてさめぬ眠に入りたいと望んで居ます。

引用文献: 前掲書, pp.47-48

本当のことを告げるべきか、告げないべきか…。
それは人それぞれ考え方があります。また状況によっても違うでしょう。
順子さんの場合、発症から約1日半で亡くなったのです。
その短い間に、受診、診断、入院、手術、そして術後の家族との面会…と怒涛のような時間を過ごされたことでしょう。そこで、もしも本当のことが告げられたとしたら、順子さんはとても安らかな気持ちで過ごすことはできなかったかもしれません。狂乱した感情が起こり、それを目にしたご家族の心は、深い悲しみとやりきれない気持ちで破裂しそうかもしれません。山崎先生は順子さんがせめて安らかな最期であるようにと、強く望んでいらっしゃいました。そうした状況を生み出すために父としてできる最期の贈り物が「本当のことを言わない」ことだったのだろうと思います。

その後、山崎先生は順子さんの死にどのように向き合っていったのか。
山崎先生の言葉を見てみましょう。

短き生涯を過ごした順子は、後に残つた私共を教化し反省せしむべき使命を以て下された清浄無垢の天使であつたとも考へられます。
さすれば、彼女によつて得た教訓を長く家庭に存せしめ活動せしめて、私共の一生がそれによりて刺戟され啓発され警醒され指導されて行くならば、順子は永しへに私共の中に生きてゐるのであります。

そして、若し私共が彼女の遺した教訓を閑却して、之を実行の上に現はさないならば、順子は本当に死んでしまつたことになります。

私は清き美しき二十二歳の彼女の姿を永遠に追憶すると共に、彼女の使命を永遠に果たさしむるやう努力しつゝ、彼女を限りなき生命に生かして見たいと深く心に誓ひました。
かくして、私は二十二歳の純潔なる順子の姿を永久に追憶すると共に、彼女の遺した教訓によつて修養努力をつゞけながら、彼女の名によりて国家の為めに御奉公するならば、彼女の肉体は死して壺中一握の灰と化し去りましても、彼女の精神は清きまゝに永く有意義に生きることになります。

私共は順子の死については、肉体を失うて心霊を得、朽ち果つべきものを失くして永久に活けるものを発見したことになります。輸血の術によつては私の血液は彼女の肉体を生かしえませんでしたが、かくすれば私の精神は彼女の真生命を永遠に生かし得ると共に、彼女のそれと常に結びついて行くことが出来、彼女に対する報酬と陳謝とは之に越したものはあるまいと思ひます。


引用文献: 前掲書, pp.51-52

お子さんが肉体的な死を迎えた後に、お子さんの魂をご両親の心の中で生かし続け、共に生き、お子さんの姿に導かれてご両親が生きていくという考え方は、非常に大切だと私は思います。
子どもは最初にご両親から命をいただいて、この世に生まれてきます。
そして、死後もう一度、ご両親によって、今度は永遠の命をいただくことができるのです。エッセイ「父母を教えた智識の孝子」でも書きましたが、そうした考え方は、遺された人の崩れそうな気持ちを支える屋台骨になるようになる気がいたします。

 
お子さんはあなたから、死後、新たな永遠の命をいただくことができる…
それはあなたの意思によって、できることなのです。   
2014/3/18  長原恵子