乾くことのない父の涙 |
エッセイ「沈んだ夕陽と輝き続ける日輪」では、ドイツ人の作家、詩人であるゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)の言葉から魂の在り方について考えてみました。実はゲーテは、幼いお子さんに4度も先立たれています。今日はゲーテの父としての苦悩について、取り上げたいと思います。
ゲーテは5人のお子さんがいらっしゃいました。
最初のお子さんは長男アウグストです。1789年に生まれました。
その2年後、1791年10月14日、次男が誕生しましたが、残念ながら死産でした。奥様のお腹が段々大きくなる間、ずっと会えることを楽しみに待っていたでしょうに…。
それから2年後、ゲーテが44歳の時、長女カロリーナが誕生しました。
1793年11月22日のことです。しかしながらカロリーナは12日間でこの世を去りました。
父ゲーテの深い悲嘆は、当時ゲーテ宅に同居していた親友のハインリヒ・マイエル氏の言葉によって知ることができます。 |
平生はあれほど沈著なゲーテが、殆ど気が狂つたのかと思ふ程にとり乱して、大声で泣きわめきながら、床の上をころげ廻るのを見て、甚だしく驚き且つ動かされた。
引用文献:
三井光弥(1948)『父親としてのゲーテ』今日社, p.54
(※WEBの表示上、旧漢字は当方が改めています) |
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その後、1795年10月30日、三男カールが生まれました。
ゲーテの心の中には、カールの誕生を心から喜ぶ気持ちと、どうか何とか元気に大きく育ってほしい…と祈るような気持ちが、同居していたことでしょう。カール誕生の翌々日に親友シルレルに送った手紙の中で、次のように記しています。 |
たうとう、可愛らしい女の子ではなくて(註。これを見るとゲーテは余程女児を希望してゐたらしい)。
可愛い坊主が飛び出しました。私の心配の一つが今揺籃の中に眠つてゐます。
引用文献:前掲書, p.55
(※WEBの表示上、旧漢字は当方が改めています) |
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無事に大きくなるだろうか、悲しいことはまた起きないだろうか…そうしたゲーテの心配は、現実になってしまいました。
カールは生後6日目に亡くなったのです。
ゲーテはシルレル夫妻をとても頼りにし、心の内を見せることができていたのでしょう。カールが亡くなった翌日、ゲーテがシルレル夫人へ送った手紙には、次のように書かれていました。 |
赤ん坊は可哀さうに昨日我々を見棄てて逝つてしまひました。
我々はこの世の中のいざこざを通して、この空隙を再び充たすべく努めなければならないのです。
引用文献:前掲書, p.56 |
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ゲーテは忙しく日々を過ごすことによって、お子さんに先立たれて、ぽっかり空いてしまった心の隙間を埋めようとしたのでしょう。
シルレル夫人に書いた言葉は、自分自身に言い聞かせる言葉だったのかもしれません。
そこから7年後、1802年12月18日、次女が誕生しました。
ゲーテは「どうか、どうかこの子が生き長らえますように…」と神に祈ったことでしょう。しかし次女は3日間の命で、この世を旅立ちました。
生きてきた長さが短いからといって、決して悲しみが小さいわけではありません。また、時間が過ぎたからといって、その悲しみがどんどん風化して行くものではありません。消えたように思う悲しみは、心の中に見つけた悲しみをしまうことのできる引き出しの中に、押し込んでいるだけなのですから…。
次女が亡くなった2年後、1804年のゲーテの様子が、詩人ヨハン・ハインリヒ・フォッスが親友に送った手紙の中に記されています。 |
四人の子供が相継いで亡くなりましたが、彼は今日でもまだ度々死んだ子供達の事を思つて涙を浮かべてゐます。
引用文献:前掲書, p.56 |
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こうして見ると、ゲーテは自分の悲しむ様子を周囲に隠そうとしていなかったことが、わかります。自分の気持ちを素直な言葉で手紙にしたためたり、泣いたり、落胆したり、心を抑えきれなくて転げまわったり、ありのままの自分の姿を友人に見せたのですね。
でも、そうした感情の露出は大切な役割を果たしてくれます。
悲しい出来事と向き合わなくてはいけない時に、自分の心を落ち着きの良い方向へ、整えてくれる働きを持っているのだと思いますから…。 |
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Lana-Peaceでのカウンセリングでは、やり場のない感情を押し込めているあなたの苦しさを、徐々に解き放つお手伝いを行なっています。それはあなたのお子さんを、大切にすることにつながりますから… |
2014/4/9 長原恵子 |