病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
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魂を呼び戻す〜魂呼(たまよび)〜

魂のことを考える上で、今日は1000年ほどさかのぼった昔の日本のことを取り上げたいと思います。平安貴族の一人、藤原実資(さねすけ)の日記『小右記(しょうゆうき)』を見てみましょう。

一日蛭喰之間心神不覚、仍今夜令守道朝臣令行招魂祭
『小右記』万寿4年5月10日条より

このような内容のお話です。

長原私訳:
今日は蛭に悪い血を吸い取らせる治療している間、心の置き所を見失うような感じ(気分の悪さ)であったため、陰陽師第一者である賀茂守道に招魂祭を行わせた。 万寿4年(1027)5月10日

何だか卒倒しそうな治療ですね。魂もどこかに遊離してしまいそうです。当時の人は、魂を招き戻すのは、陰陽師にお願いしていたのですね。

その魂をどんなに呼んでも、身体に戻ってくることのない状態を、当時の人々は死と考えたようです。
それがはっきりとわかるのは、藤原道長の六女である嬉子(きし)が絶命する時に行われた儀式の記録です。
万寿2年(1025)8月3日、嬉子は敦良親王との間の親王を出産し、その翌日、御湯殿の儀(産湯をつかわせる儀式)が行われました。しかし嬉子は堪え難いほどの気分の悪さを訴えたのです。当時、病気は物の怪に憑取り付かれて起こるものだと考えられていましたから、それを追い払い、仏様に祈るための加持(かじ)読経が懸命に行われました。しかし残念ながら、臨終を迎えてしまったのです。
出産からわずか2日の出来事でした。詳細はこちら「されどそれがただ恋しきなり」もご参照ください。
そのとき、父 道長は陰陽師の賀茂守道に魂呼を行わせたのです。

主計助(かずへのすけ)守道、おはします対の上に御衣を持て上りて、よろづを申しつづけ招きたてまつる。
すべて限りにおはしませば、おほかた殿ばら、「たゆむなたゆむな」と、僧たちをも頼もしう言ひおこなはせたまへば、僧もおなじ人なれば、泣く泣く、いみじ、悲しと思ふ。

引用文献:
『栄花物語』巻第26「楚王のゆめ」:新編日本古典文学全集32, 小学館, pp.507-508

このような内容のお話です。

長原私訳:
主計寮(税収をつかさどるところ)で働いていた陰陽師の賀茂守道は、嬉子の寝ていた土御門第(つちみかどてい)東対の屋根に、嬉子の着物を抱えて上がり、それを振りながら嬉子の魂が戻るようにと唱えました(魂呼)。
臨終近い様子を知った殿方は皆、加持祈祷をしていた僧たちに向かい、
「どうか気を抜かないで、気を抜かないでしっかりやってください」とお願いしました。僧も同じ人間ですから「あぁ大変なことが起こってしまった、なんと悲しいことだろうか。」と、泣いていました。

※魂呼を行っていた人は陰陽師 中原常守(恒盛)だとする説(『左経記』万寿2年8月23日条)もありますが、ここではどなたがやったのか、という議論は横に置いて、魂呼(たまよび)が行われたということに注目します。)

これは通常行われていることではなかったようです。藤原実資は日記に
このことについて「魂呼、近代不聞事也(私訳:最近、魂呼をやった例など聞いたことがない。)」(『小右記』万寿2年8月7日条)と記していました。
たとえ一般的に行われていることではなかったとしても、娘の命が取り戻せる可能性があるならば、どんなことでもしたかった、という道長の必死な思いが伝わってきます。
当時の日記は個人の感情や心に残る出来事の記録が綴られる私的な性格(自分のため)が強いものではなく、特別な役職の業務のやり方や儀式の方法等を、後の子孫に伝え残すといった公的な性格(家のため)を持って書き残されていました。「先例」をとても大事にし「先例通り」やることを求められていた貴族にとって、祖先の残してくれた日記は大切な参照先でありました。ですからそのような時代において、先例のないこと(すなわち誰かが前にやったことのないこと)をやるのは、勇気が必要だったのです。
道長は周囲の人にどう思われようと、かまわなかったのでしょう。

こうした魂呼にとてもよく似ている呪法は、中国の『礼記』「葬大記第22」に「復」という名前で登場します。

皆、升自東栄、中屋覆危、北面三号。巻衣投於前。司服受之。降自西北栄。               『礼記』葬大記第22
復尽愛之道也  『礼記』壇弓下第4

このような意味です。

長原私訳:
東側から屋根に上り、北に向かって三度名前を呼びます。巻いた衣類は屋根より前方に向かって投げ落とされ 拾い受けられます。屋根に上っていた人はそして西北側より降ります。
復とは亡くなる者へ、愛を尽くす道なのです。

また、韓国ドラマ「家門の栄光」第2話(監督: パク・ヨンス、脚本: チョン・ジウ)の冒頭で、魂呼が登場します。宗家の曽祖父が死去し、ソウルの家から地方にある宗家の本宅に戻り、その屋根の上で魂呼が行われます。ここでは、絶命寸前の方の魂を呼び戻して蘇生を願うというよりも、亡くなってまだ時の浅い方の魂が本当に完全に離れてしまったのだろうか、という意味で行われているように見えます。

魂呼をいろいろ例を挙げて見てきましたが、この世の生とは身体と魂が一緒に生きていることであり、死と考えられていることは、身体から離れた魂の居場所が変わっただけ、という風に思えてきます。

 
限りのある身体から離れたお子さんの魂が、束縛も制限も痛みも苦しみもなく、のびのびと、過ごしていたら良いですよね!      
2013/6/24  長原恵子