木と色と形に込められた思い〜ソウル 木人博物館
亡くなった方々を見送る時「どうかあちらの世界でも、寂しくなく、過ごすことができますように…」と願う気持ちは、国を越えて等しいものですね。 2015年10月に訪れた韓国 ソウルの木人(モギン)博物館で、強くそう感じました。木人(モギン)とは、亡くなった方を墓地へとお連れする際、棺をのせるために使われた「喪輿(サンヨ)」を飾った木の人形のことです。 今日はこちらをご紹介したいと思います。
木人博物館は個人の方が韓国を始めとするアジア各国から収集された木工芸品、民芸品、石像などを展示した私設博物館です。ソウルの地下鉄3号線安国駅から徒歩6分くらいのところにあります。博物館名にもなっている「木人」だけでなく「喪輿」を装飾した「龍首板(ヨンスパン)」など、たくさん展示されていました。一部、民俗文化に関する木工品や民芸品も展示されています。 大規模な公立の博物館とは異なりますが、館内には韓国語だけでなく、英語、日本語の説明表記があって、びっくりです! 屋上はベンチやブランコなどが置かれていて、サービスのドリンクをいただきながら、のんびり休憩することができます。 当日、博物館受付にいらっしゃった方に、展示品のことをいろいろ尋ねていたのですが、途中からなんと「日本語」で、木人博物館のキュレーターの方が案内してくれることになりました! お名前は劉 光淑(ユー カンスク)さん。劉さんは以前、日本の美術大学に留学して、勉強されていたことがあるそうです。大変流暢な日本語で、丁寧に説明してくだり、質問すると一生懸命考えてくれて、すべて日本語で答えてくださいました。劉さんが勤務されている時、観覧者からの希望があれば日本語で説明してくださるそうです。当日、受付で尋ねてみるといいですね!
さて当日の劉さんのお話と、展示会場の解説板に書かれていた内容(英語・または日本語)を元に、こちらにまとめてみますね。 ※もしここに誤った記載があれば、それは私の記憶の誤りと理解力不足が原因です。すみません! 喪輿(サンヨ)は亡くなった人を墓地まで運ぶために使われた輿(こし)で、大きさによって大輿、小輿と呼ばれるそうです。美しい装飾が施された喪輿は、20世紀まで韓国で用いられていました。 喪輿は町ごとに用意され、喪輿匠と呼ばれる専門家が、喪輿の制作に携わっていました。しかし時代の流れと共に喪輿の歴史も変わりました。1960、70年代になると、喪輿を担げるような若者が地方から都会に出てくるようになり、若者が町から減り、人が担ぐのではなく、車が使われるようになっていったことがその背景にあるようです。喪輿匠の数も減り、1980年代頃は一般の木工所で作られるようになったそうです。 喪輿は棺を納めるスペースの周囲や上方を取り囲むように見事な装飾が施されていますので、完成品は縦、横、高さ、結構な大きさになります。そこで通常喪輿は分解されて、町から少し離れたところで保管され、必要になった時に組み立てられました。喪輿は成人用・こども用と区別していたわけではなかったそうです。
喪輿の装飾は、特定の宗教を反映したものではありません。仏教、儒教、道教など様々な宗教のエッセンスが混ざり合って、取り入れられています。喪輿を飾るモチーフとして登場する鶴や蓮は仏教の影響と言われたり、龍は神仙の世界を表すと言われたり…。
喪輿(サンヨ)の基本的な構成 棺の上には故人を邪悪なものから守り、寂しくないようにあたたかい雰囲気を作り出す工夫でいっぱいです。
私が印象的だった特徴をいくつか挙げてみます。 1)喪輿を飾る華やかな色使い 写真をご覧いただくと一目瞭然ですが、白黒とか淡い色使いといったものではなく、非常に鮮やかな彩色がとられています。 劉さんによると、お葬式の時、亡くなったご本人と家族は白色を身に着けていたそうですが、喪輿(サンヨ)の色は五行思想の色とも関係があるのだとか。 知らない人が遠くから見たら、これが亡くなった方の棺を運ぶものだとは思わないかもしれませんね。賑やかな雰囲気で、まるでお祭りの御神輿のようです。この配色を見た時、木人博物館から徒歩3分ほどで到着する大韓仏教 曹渓宗の総本山「曹渓寺」の装飾が思い浮かびました。
こちらも実に美しいでしょう。仏を讃え、極楽浄土を賛美した世界観の現われだと思いますが…。
2)故人が寂しくないように取り囲む様々な人物・動物像 解説板によると これらは2種類に大別することができ、1つは神話上の像、もう1つは現世の人物の像。いずれも死後の世界に向かう時、故人の仲間になるものです。人物像はいろいろな表情、ポーズをとっていますが、中には、楽器を演奏したり、宙返りをするエンターテーナーや、「Saja」と呼ばれる死者の魂からのメッセンジャーなどが表されています。 亡くなった方が死後の世界で寂しくないように、楽しい雰囲気を作り出したいという家族の思いがたくさんつまっているなあと思いました。 聖獣や瑞鳥に乗っている人物像は亡くなった方を学者風に表したり、あるいは武士や山の神様、死後の世界に魂を導いてくれる人、メッセンジャー、天国に導いてくれるこどもの僧侶などを表しているのだそうです。特に馬や虎に乗っている人物像は、悪霊を追い払う役割を果たすだけでなく、亡くなった方の身分や地位を高める意味もあるのだとか。
3)美しく彫り抜かれた装飾 喪輿の周りはお花や鳥などによって取り囲まれていますが、お花の中では蓮やシャクヤクが人気のあるモチーフがだったそうです。蓮の花の開花は仏教徒の信心としてあらわされ、シャクヤクは繁栄のシンボル。後年になってからは、ムクゲなども使われるようになりました。 お花のそばに魚が描かれていますが、こちらは多産のシンボル。あちらの世界でたくさんの仲間に会えることを祈ったものなのか、それとも、この世でまた故人とご縁のあるこどもが生まれてくるよう願われたものなのでしょうか?本当のところはよくわかりませんが、きっといろいろな意味が含まれているのでしょうね。 鳥は天国とこの世を結ぶメッセンジャーと信じられていたそうです。 亡くなった方はたくさんの仲間に囲まれ、そしてこの世と何らかの形でつながりながら過ごす、というように考えられたいたのでしょう。
4)龍首板 龍首板(Yongsoopan ヨンスパン)は棺を覆う屋根の前と後ろの部分をペアで飾った木の半円の板です。文字通り、龍の頭が描かれているだけでなく、鳳凰や蓮などの文様の場合もあります。 なぜ龍なのでしょうね?この龍首板を見た時、中国 馬王堆漢墓の夫人の棺から副葬品として出土された、帛画の昇り龍を思い出しました(この帛画のことは、Lana-Peaceのエッセイで、またいつか取り上げたいと思います)。私の勝手な想像としては「無事、天に魂が昇りかえっていくように、そのお手伝いを龍にお願いしたいということなのかなあ…」っていうところです。故人の冥福を祈って、龍に願いを託していたのかもしれませんね。
喪輿の装飾の中では、龍首板はこんな風に使われました。
館内には業鏡台/浄玻璃鏡も展示されていました。 冥界の主の前でこれまでの人生、行った良いこと、悪いことがすべて映し出されるという鏡を支える台です。
先立った方の冥福を祈り「どうか、天国、極楽、浄土、そういったあちらの世界で幸せに過ごせますように…」という願いがたくさん詰まっている喪輿(サンヨ)、木人(モギン)、龍首板(ヨンスパン)。 そうした思いは、こうして色や形をまとって具現化されると、何か強い実行力を伴って、亡くなった方を守り、お墓まで連れて行ってくれそうですね。昔も今も、国を問わずそうした思いは変わりませんね…。
木人博物館は喪輿(サンヨ)、木人(モギン)、龍首板(ヨンスパン)以外にも、様々な文化にまつわる木工品・民芸品がありました。今回は喪輿関連に焦点を当ててご紹介しましたが、その他のものについてはLana-peaceのブログ内「アートいろいろ」のページで順次、ご紹介したいと思います。