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モーリス・メーテルリンク氏(Maurice Maeterlinck)の『青い鳥』という童話を、幼い頃、読まれた方は多いと思います。『青い鳥 (原題 L'oiseau bleu)』はクリスマス用の童話を頼まれたメーテルリンクが、1906年に書いた戯曲で、1908年にモスクワ芸術座で初演された作品です。日本では1911(明治44)年、島田元麿(もとまろ)氏・東草水(ひがしそうすい)氏によって、実業之日本社から最初の邦訳が出されたそうですから、もう100年以上も日本で読み継がれている本なのですね。
メーテルリンクは1862年生まれ。ということは『青い鳥』を書いた頃は、40代半ばです。しかしその中身は、自然にこどもたちがその世界に引き込まれていくような、自由柔軟な発想に富む内容です。大人になってもう一度読んでみると、これが単に彼の「創作」した作品ではないような印象を、私は強く受けました。作品の中に横たわる生命と死に対する考え方、そこは創作をはるかに超えて、彼が何かの啓示に基づいて書いたのか、あるいは彼自身の体験の中から得たひらめきや確信を言葉にしたのか…。
そんな風に思えたのは、『青い鳥』とは別に、メーテルリンクの生い立ちについて記されたある一節がきっかけでした。
ある夏の午後、メーテルリンク少年は自宅そばの運河で妹、弟、友人と一緒に遊び過ごしていましたが、彼は運河で溺れてしまいました。平泳ぎで二、三、水をかいた後、土手から二メートルほどのところで、叫び声をあげながら、まっすぐに沈んでいったのです。溺れたメーテルリンク少年を助けようと、友人が泳いで近づきました。その足をメーテルリンク少年は一旦つかみ、引き寄せることができました。しかしその手を離してしまい、だんだん意識を失っていったのです。
その異変に気付いたのはメーテルリンク少年の父でした。建築中の家屋の塔にいた父は、大工さんや石工さんに叫び知らせ、助けに向かいました。塔はまだ階段もできあがっていないため、足場と梯子と踊り場しかないところを若い大工さんが駆け下り、父もそれに続きました。そして運河に飛び込んだ大工さんによって、溺れていたメーテルリンク少年は助けられ、岸まで引き上げられたのです。
メーテルリンク少年が気が付いた時、彼は自宅のベッドの上に横たわっていました。その時の経験を想起し、次のように記しています。 |
この意識のない間、私は死のごく近くまで行った。もし実際に死の世界に到達していたら、ほかのことは覚えていなかっただろう。私は気づかずに大いなる扉を越えるには越えた。一瞬だが、ある種の驚くべき光を体験したからである。そこには苦しみ一つ、不安一つなかった。目が閉じ、腕がしきりに動き、そしてもう私はいなかった。
これが死というものなのだろうか。もちろんそうだろうが、意識を完全に喪失した後に、これに続くものがあるのだろうか。
何があればいいのだろう。意識はこの世の「私」にすぎないが、それが失われたら、何が残るのだろう。それは、たぶん別の形態をとって目覚めるだろう。身体がなくてもそれは可能だろうか。まだ答えが見出せない本質的な問題である。
引用文献:
モーリス・メーテルリンク著, 山崎 剛訳(2004)『死後の存続』めるくまーる, pp.185-186
※訳者あとがきに引用登場する最晩年の回想記『青い泡沫』
「水死」より
(Bulles Bleues, Monaco, Ed. du Rocher 1948) |
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意識を失くした後、メーテルリンクの感じた「光」、そして苦しみも不安も一切ない安らかな境地、そうした体験は彼に「死」に対する素直な、そして強烈なイメージを植え付けたことでしょう、そして何より、それが自分自身の経験に基づくことであるからこそ、そのイメージは大人になっても続き、揺るぎない確信になったのだろうと思います。 |
私に関して言えば、死の間近までいき、それを垣間見てきたのだと思う。そしてあの時と同じように、穏やかで、すばやく、甘美な死を再び体験できることを今は心待ちにしている。
引用文献:前掲書, pp.183-184
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メーテルリンクのこの記述は、最晩年の回想記『青い泡沫』「水死」(Bulles Bleues, Monaco, Ed. du Rocher 1948) に出てくるものですが、少年期の彼の体験は、何十年も忘れず、彼の晩年まで強く影響を及ぼしたということですね。
メーテルリンクは1911年、それまでの文学活動に対して、ノーベル文学賞を授与されています。受賞理由はこちらに記されていますが、こどもに馴染みやすいおとぎ話のような形態であるからこそ、読者の心の垣根を取り払い、その奥に届き、そこから読者一人一人の深い思索を呼び覚ます…そんな気がしてなりません。
メーテルリンクの『青い鳥』の中には、お子さんを失くしたご家族へ伝えたいメッセージが、たくさん含まれています。これからLana-Peaceのエッセイの中でお届けしたいと思います。 |
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亡くなったお子さんは、死の瞬間、安らかであったはず。そして死の後、形を変えて続く命は、更に安らかであると思うのです。 |
2016/5/19 長原恵子 |
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