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お子さんの生き方があまりに破天荒過ぎて、その生き方を分かり合えず、亡くなるしばらく前から連絡が途絶え、和解することもなく亡くなってしまった…。そういう死別はことのほか、心の中に、何百トンもあるような重い蓋がかぶされたままだと感じる親御さんも、いらっしゃるかもしれません。でも、そういうご家族のことをお子さんは、死後の世界からずっと見守っている…そう思えるお話を、今日はご紹介したいと思います。
アメリカのアニー・ケイガンさんは音楽家として活躍した後、ニューヨークのマンハッタンでカイロプラクティショナーとしての診療施術を行っていたマルチな女性でした。しかし離婚、退職、引っ越しにより、自ら、世の中との交流を遠ざけるようになりました。瞑想や散歩、作曲活動で日々を過ごしていました。
そんなある日、アニーさんの元に、マイアミ警察署から一報が入ったのです。兄のビリーさんが、交通事故で亡くなったというのです。
62歳のビリーさんは、波乱万丈な生涯で、若い頃から随分いろいろな裏社会を見てきた人でした。アニーさんが小学生の頃、年の離れた兄は既に薬物中毒でした。幼いアニーさんにとっては、兄を恐れる気持ちもあったのでしょう。兄との間を疎遠にしようとした時期もありました。しかしアニーさんも大人になり、兄が更生できるよう、手助けするようになりました。中毒、依存症を治すために、何年もあらゆる方法を試しました。しかし思うようには、うまくいきません。やがてアニーさん自身も、心身共に疲弊し、兄からの電話を避けるようになりました。電話しないでと頼んでも、とまらない兄からの電話…。アニーさんは兄の電話に泣き叫ぶようになり、兄との一切の交流を断ったのです。
車で生活していたビリーさんは、ある日、病院の救急外来に姿を現しました。お酒を飲んで興奮し、喀血しながら咳き込み、入院治療を希望するビリーさん。しかし応対した看護師は、薬物中毒の回復施設に戻るようにと、ビリーさんを促しました。すると怒って興奮したビリーさんは、看護師を脅して騒ぎを起こし、警察に通報されてしまったのです。病院を逃げ出したビリーさんは、深夜二時半、高速道路に走り出て、自動車事故にあいました。ビリーさんの手首にあった病院のIDバンドから、アニーさんの名前と連絡先を突き止めたマイアミ警察は、アニーさんに兄の訃報を伝えたのです。 |
数日間、私はベッドの中でたまにお茶を飲むぐらいで何をする気にもなれませんでした。悲しみにはよく、ショック、罪の意識、怒り、落ち込みなどといった段階があるといわれますが、私の中ではそれらの感情が一度にぶつかり合ってはりさけんばかりでした。
そんな私を心配して立ち寄ってくれた友人のテックスに、私は話し始めました。
「何か変なの。正確に言うと、私は悲しいっていうより、
ブードゥーの人形のように体のあちこちに針を
刺されているみたい」
引用文献:
アニー・ケイガン著, 島津公美訳, 矢作直樹監修(2016) 『アフターライフ 亡き兄が伝えた死後世界の実在、そこで起こること』ダイヤモンド社, p. 25
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精神安定剤を飲んで過ごしても、苦しかったアニーさんですが、兄が亡くなって3週間ほど経ったある日、不思議な体験をしました。奇しくもそれは、アニーさんの誕生日でした。日の出の直前に目覚めたアニーさんは、部屋の上方から自分の名を呼ぶ兄の声を聞いたのです。
アニーさんは夢かと思いました。しかし「夢ではない」と、赤いノートを取ってくるよう促す兄の声に、突き動かされました。そのノートとは、その前の年のアニーさんの誕生日に、ビリーさんが贈ってくれた赤い革表紙のノート。アニーさんは本棚から取り出して、開いてみると、最初のページに文字が書かれていました。 |
「アニーへ
誰でも自分のための本が必要なのさ。
行間を読んでね。愛をこめて
ビリー」
引用文献:前掲書, p.28 |
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ビリーさんは自分が亡くなった時の話を始めました。
車にはねられた瞬間、あるエネルギーが肉体から自分を高次元の世界へと吸い上げてくれたこと。一瞬にして痛みがなくなったこと。そのエネルギーとは青みがかった銀色の光で、自分が空洞に入っていくと、肉体、精神、感情など、生きていた間のあらゆる苦しみやすべての傷が、消えて癒されていくのを感じたこと。そして亡くなった父親に出会ったこと。自分は宇宙へ滑り込み、聖なる存在や高次元の存在達に囲まれ、見下ろした地球との間には穴があり、そこをのぞいてみると、妹アニーさんの姿が見えたこと……。
アニーさんは以前から、死後の世界は全く想像もつかないけれど、何かある、と信じていました。そして自分の誕生日をきっかけに、ビリーさんとのコミュニケーションが始まったのです。
その後、一時、兄からのメッセージが途絶えてしまいました。兄の死後始まった不思議なコミュニケーションの話を、自分が人前でしゃべってしまったことが原因なのだろうかと、アニーさんは落ち込みました。10年続けていた瞑想をやっても、辛さや痛みばかりを感じ、心はぼろぼろでした。そうしたある日の夜中、アニーさんは目覚め、再び兄の声を聞いたのです。それはなんと、兄の誕生日の出来事でした。 |
誕生日だからって、僕を呼び出してくれたけど、僕は今、深い学びの状態に入っていて、君がいくら僕の声を聞きたくてもなかなか応えられないんだよ。
代わりにしっかり厚着をして、海辺の散歩に出かけたらどう?
生き生きとした青い海の塩水と雪を顔に浴びてきてごらん。
自然は君の背負う苦しみを許してくれる。
それに自然には、地上で一番多くの光があるんだ。
引用文献:前掲書, p.60 |
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亡くなった人のことを思っても、何も見えず、夢の中でも登場しない時、ひとりぼっちでこちらに残されてしまったような気がして、人は孤独に思いがち。でも実は亡くなった人の側では「深い学びの状態に入っていた」から、こちらからの問いかけに応じられなかったということもあるのですね……。そして、この世に生き続けている家族の様子が気がかりで、ずっと心配してくれていたのですね。
アニーさんは兄のアドバイスに従い、散歩に出かけることにしました。そして帰宅後、横になり、癒しの空洞に入る自分のイメージを持ってみたのです。するとアニーさんは、銀色の光に包まれる感覚と共に、頭から光の中に吸い込まれ、細胞が星のように光る感覚を得ました。そして自分が光に包まれていると感じ、再び自分の中の光に集中して、瞑想することができるようになったのです。 |
そう、今やビリーのおかげで、ビリーの死を乗り越えたのです。家で何をしでかすかわからない、それでいてとても魅力的な兄ビリーが、今や宇宙の秘密を私に語ってくれているのです。
私にとってこの事実が何より、思ってもみないことでした。
引用文献:前掲書, p.61 |
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アニーさんはビリーさんの遺灰を、自宅の暖炉のそばにずっと置いていましたが、3か月経ち、季節もあたたかくなってきたことから、散灰しようと思い立ちました。なぜなら、ビリーさんは生前、そう希望していたからです。自宅近くの海に出かけ、片手いっぱいの灰を撒いたアニーさんは、家に戻ると、兄がそばにいる気配を感じ、メッセージを受け取りました。 |
(略)そして君は今、僕が君を許してくれるだろうかと思いながら、PCの前で泣いている。本当に問うべき質問はきっと、
「君が僕を許せるか」なのかもしれないね。
そして、アニー、許さなくてはならない人なんて誰もいない。
だって、僕たちは生まれる前にどう生きるかを約束してから
生まれてくるんだから。
僕たちは前世で何かいけないことをしたから、それを今つぐなわなくてはならないというふうには生きていない。本当にそんなふうにできてはいない。
「目には目を、歯には歯を」と考えるカルマの公式なんてない。少なくとも僕が今いるところには。
魂のタイプ別に自分が体験することを選んでいる、といったほうがいいと思うけど、どのみち生きている間にこのことを理解する時は来ない。
そして理解しないままに、自分が体験することこそが、人生での大事な一部なんだ。
もし、世の中の人がこの仕組みを知れば、自分の振り上げた拳を下ろす人も出てくるだろう。拳を振り上げなくなる、これも“悟り”のひとつだろう。
引用文献:前掲書, p.100 |
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時間が経っても、妹を守ろうとするビリーさんの思いは、薄れていませんでした。そして、その年の6月、次のメッセージを送ってきたのです。 |
君に僕の声が聞こえるのはなぜかだって、誰にもわからない。
ただ、死んだ後に君の姿が見えた僕に、君の抱えるつらさが全部伝わってきたから、元気を出してもらおうとずっと話しかけてきた。僕だって、君と同じくらい驚いているさ。
そして驚くようなことは又起こるよ。
引用文献:前掲書, p.115 |
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これから起こる驚くようなこととは…?その夏、アニーさんは夜の海辺で、頭上に浮かんでいる青い光を見ました。そして、アニーさんのベッドの上には、青白い光が現われるようになりました。
そんなある朝、ビリーさんから、再びメッセージを得たのです。 |
僕には青白い光が、見渡す限りすべてのものに見える。僕にも、そして君の中にも。青白い球の光は、君が子宮にいる時に魂を体に運んで、命を授ける目には見えない力となる。そして機が満ちて君が死ぬと、命を与えたのと同じ光が、魂を癒しの空間へと運んでくれる。
そして、いつの日か君も僕と同じように、青白い球の放つ光でできた体を手に入れるんだ。そして、(生きている時のように)君が光を身体の中に抱えるのではなく、光が君を青白い光珠の中へと運んでくれる。
引用文献:前掲書, p.140 |
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ビリーさんの語る言葉から考えると、私たち人間は何か神々しい光によって魂が肉体に授けられることによって、この世に生を受け、そして亡くなる時には、その神々しい光によって魂が導かれ、死後の世界で生きるからだ(この世での肉体とは別の形態を持つ)を得るのでしょうか。
人間が「死」と考えていることは、地球上の今の社会で広く流布している認識にすぎないのかもしれません。何か本質は別にあって、その一面だけを捉えて私たちは「死」と定義づけているだけなのかも。
その本質は、なかなか現代科学のレベルでは、今、明らかにすることはできないけれど…。 |
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破天荒な人生で悲惨な最期だったとしても、安らかで永遠の生を得て、この世の家族を見守る…それはビリーさんだけではないはず。 |
2016/12/8 長原恵子 |
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