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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア |
埴輪 水鳥
(東京国立博物館 所蔵) |
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埴輪 水鳥
1個
埼玉県行田市埼玉出土
古墳時代・6世紀
個人蔵 |
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埴輪 水鳥
1個 大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土
古墳時代・
5世紀
列品番号:
J-6480 |
(撮影許可あり) |
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所蔵先: |
東京国立博物館(東京) |
出展先・年: |
東京国立博物館(東京)平成館, 常設展示, 2017 |
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こちらで韓半島における鳥型土器を取り上げた際、『三国志魏書』「東夷伝」の「以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚」という一文から、鳥は死者の魂を黄泉の国へと送リ届ける役割があるという考え方をご紹介いたしました。そうした考えは日本でも同じようにあり、我が国では古墳時代中期(4世紀末)以降、雁や鴨類などの水鳥形埴輪が出現し、古墳の水際(濠の中島や造り出し)に置かれていることが多いことから「水鳥形埴輪は、渡り鳥が大空高く飛び去って行く情景から、死者の魂をのせてあの世へと運び去る姿を模したもの」(※1)と考えられているそうです。 |
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埴輪 水鳥 1個
埼玉県行田市埼玉出土
古墳時代・6世紀
個人蔵 |
右足元を見ると、水かき部分が驚くほどしっかりと再現されています。
それにしても水鳥の下の台、側面にどうして丸い穴が開いているのでしょう?持ち運びしやすいから?行田の埴輪も下の羽曳野の埴輪も同様に台側面に穴があります。
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埴輪 水鳥 1個
大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土
古墳時代・5世紀 列品番号J-6480 |
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一方、魂が戻ってくるように、という考え方もあるそうです。千賀久氏の『はにわの動物園』の中では水鳥の意味について「はるか天空高く飛び立つ姿に、現世へ魂を呼びもどし死者を生き返らせようとの願いを託したとする。」(※2)とありました。死者を死後の世界へ無事に送リ届ける役割、或いは死者を現世に引き戻し蘇らせる、いろいろな役割が考えられるのでしょうが、それだけ鳥はたくさんの可能性を秘めた存在とも言えますね。
この他、鳥はいろいろな場面でも使われたと考えられています。弥生時代の遺跡として知られる大阪府の池上・曽根遺跡からはお腹の部分に棒が差し込めるように穴の開いた鳥の木製造形物が見つかっています。これは集落内で穀物の豊作を祈る祭りの際、鳥竿(ちょうかん)として高く立てたものと考えられている(※3)そうです。
また奈良県桜井市の纏向遺跡から出土した水鳥と舟を合体させた形の木製品も、農耕儀礼に使用した木製品や土器をまとめて廃棄するために掘られた穴(土坑)から出土していることから、穀物霊を運ぶ役割が託されていた(※4)と考えられています。
古代の人々が鳥に向けた眼差しを考えると、彼らの感性は本当に豊かだったのだなあと思います。生者にとって鳥は現世での生命を支える穀物豊穣に寄与するものであり、死者にとっては死後の世界へ導くもの(あるいは現世に呼び戻すもの)であり…。それだけ鳥が暮らしの中で身近な存在だったことを示すと思います。
その中でも死に関する鳥へ託した思いは、今の世にもしみじみ切々と伝わってきます。以前こちらでご紹介した、渡り鳥アジサシを胸に置いて埋葬されていた6歳くらいの少年(和歌山県 磯間岩陰遺跡)のように……。
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参考・引用文献:
※1 但馬国府・国分寺館発行(2013)但馬国府・国分寺館ニュース, 第32号, p.3
※2 千賀久(1994)『はにわの動物園』保育社, p.107
※3 前掲書2, p. 116
※4 前掲書2, pp.116-117 |
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2017/12/13 長原恵子 |
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