東小田七板遺跡出土の土器
(福岡・筑前町教育委員会 蔵) |
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品名: |
東小田七板遺跡出土の土器
甕,
壺, 蓋付甕,
筒型器台,
高坏(たかつき), 蓋付壺
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1. 甕,
2. 壺, 3. 蓋付甕 |
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4. 筒型器台,
5. 高坏(たかつき), 6. 蓋付壺 |
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出土: |
福岡県筑前町東小田七板出土 |
数量: |
各1 |
時代: |
弥生時代(中期)・前2〜前1世紀 |
所蔵先: |
福岡・筑前町教育委員会蔵 |
展示会場: |
2018/4 東京国立博物館 平成館
(写真撮影許可あり)
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古代遺跡から様々な土器が出土しますが、今日ご紹介するのは色のついた土器です。福岡県の東小田七板(ひがしおだなないた)遺跡から出土した丹塗磨研(にぬりまけん)土器です。
東小田七板遺跡では弥生時代中期から後期の甕棺墓が数多く発見されました。共に見つかった祭祀土坑からは埋葬時の祭りで使われた丹塗磨研(にぬりまけん)土器と呼ばれる赤い土器が大量に出土しました(※1)。 |
丹塗磨研土器の特徴は、赤色顔料が塗られ、また土器表面が丁寧に磨かれているところです。これは日常生活の中で食事や貯蔵等のために使う土器とは異なります。たしかに成形、焼成だけでなくわざわざ顔料を用意し、塗装、研磨といった工程に手間と時間を要することを考えれば、普段使いの量産には向いていません。そこで丹塗磨研土器は「甕棺墓での葬送の儀式に用いられた、いわゆる「マツリの土器」」(※2)と考えられているそうです。
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そして人が亡くなった際、これら丹塗磨研土器を用いて葬送儀式が行われ、使い終わった土器は祭祀専用の土坑の中に収められた、というわけです。こうした祭祀土坑は特定の墓のためだけに作られたわけではなく、墓地の端で墓地全体に対応した配置になっていた(※3)そうです。
丹塗磨研土器は弥生時代中期から見られるようになり、現在の福岡県西部から佐賀県東部にかけて多く見られます。
赤色は血を想起させることから、古代遺跡から赤色のものが出土すると、そこに生命再生の願いが託されていたり、あるいはや魔除けといった意味を見出される場合があります。東小田七板遺跡から出土したこれらの丹塗磨研土器はどういう意味だったのでしょう。これは想像の域を過ぎないけれど、私は亡き人を元気づけるために、赤色の土器を使って祭祀を行ったのではないかなあと思います。命の再生を願いつつも、時間の経過と共にそれが叶わないとわかったならば、これから亡き人がしっかりと死後の世界へとたどり着くことができ、そこで安寧に過ごせますようにと願い、祭祀でそのためのパワーを授けるというか……。 |
さて赤い土器がある一方、弥生時代中期の甕棺などに黒い土器も多く見られるそうです。土器焼成時の火のまわりの悪さでできる黒斑ではなく、ススと膠などの油脂と混ぜて作った明らかに異なる黒色顔料が土器の表面に付着している、(※4)のだとか。 |
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あえて赤色にしたり、黒色にする土器の違い、それはどういう意味があるのでしょうか。その点について九州歴史資料館の解説では「死者の蘇生を願う思いと、死のケガレを忌み嫌う思想の、相反する死者への思いという弥生人の複雑な心の対立が、「赤」と「黒」の対照的な色調に反映されたもの」(※5)といった見方がされていました。
「ケガレ」はあえてカタカナで書かれています。ケガレという音から通常、人は忌み嫌う汚れや不浄の「穢れ」を思い浮かべることでしょう。しかしケガレは「気枯れ」と表記して生命エネルギーの流れが枯渇してしまった状態のことを表す側面もありました。それは以前こちらのエッセイ(※6)の中でも京都 貴船神社の御神木を例に取り上げました。黒色を「ケガレを忌み嫌う思想」の表れだとするならば、それは今世での生命力が枯れてしまった亡き人の状態と、まだ生きている人々とを隔絶する力を黒色に見出していたのではないかと私は思います。
弥生時代の人々が培ってきた精神世界は、本当に奥深いです。 |
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<参考資料・参考ウェブサイト> |
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<写真> |
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2018/8/15 長原恵子 |