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縄文時代、四肢麻痺を生き抜いた人
1. 北海道 入江貝塚・前編

北海道虻田郡洞爺湖町と言えば温泉がとても有名ですし、有珠山の山体がある場所ですね。有珠山は私にとって非常に思い出深い場所です。まだ小学生だった頃、昭和52(1977)年、家族旅行で有珠山のあたりをちょうどドライブしていた時、みるみるうちに空が暗くなり、空からばらばらと何やら降ってきたのです。一体何が起こったのだろうかとキョロキョロ外を見まわしましたが、運転していた父親は「早く逃げるぞ!」と大慌てで車のスピードを上げ始めました。普段冷静な父がどうしたのだろうと思いましたが、助手席の母と交わすやり取りがとても真剣だったので、こどもながらにも大変なことが起こったのだと思いました。車後部のリアガラスを振り返ると、みるみる辺りが灰色に変わっていったことから、有珠山が爆発したのだとわかったのです。そんな夏の思い出がある有珠山の西側数キロの所にある入江貝塚が、今日のお話の場面となります。

入江貝塚は昭和の初めの頃に発見された貝塚ですが、昭和41(1966)年から42(1967)年にかけて、新たに発掘調査が行われました。そこで15体の人骨が発掘されたのです。その中の1体「入江9号」と呼ばれる人骨は、頭を北北東に向け、膝と腰を折り曲げた屈葬の状態で、石製の銛(もり)先と共に出土しました(※1)
縄文時代後期約4,000年前の人骨と考えられた9号人骨ですが、性別を鑑定する上で信頼性の高い寛骨(骨盤を構成する骨)が断片的で病的要素もあり、性別判定は難しかったそうです。そのため頭部の骨や歯の特徴などから、10代後半の女性と推定されました(※2)

入江9号の頭部、脊椎、胸郭にあきらな変形は見られませんでした。しかし手足の骨はすべて細く萎縮していたのです。手足の骨の正常な力学的構造が完全に失われていること等から、骨固有の病的原因ではなく、手足の骨に対応する筋肉群が長く機能停止したことにより起こる廃用性萎縮の所見だろうと判断されました。そしてその転機として幼少期に何らかの疾患に罹患し、それは直ちに生命を脅かすような病状には至らなかったけれども、徐々に手足の廃用性萎縮が起こったと考えられたのです(※3)

鈴木隆雄先生ほか、当時札幌医大第2解剖学教室の峰山巌先生、三橋公平先生の論文内では、そうした状況に至る可能性のある病気の候補がいくつも挙げられ、検討されました。感染症、多発性硬化症、進行性筋ジストロフィー症、重症筋無力症、多発性筋炎、筋萎縮性側索硬化症、脳性麻痺、脊髄損傷、脊髄腫瘍……こんなにもいろいろあるのですね。その結果、各病気の好発年齢、麻痺の部位や様子、予後などの総合的な検討により、ポリオウイルスによって引き起される急性灰白髄炎(ポリオ)が可能性として高いと結論付けられたのです(※4)

※写真1 入江9号の人骨

両足、両手に及ぶ病変から鈴木先生らは次のように記されています。

幼少期に本症に侵され、四肢の筋の重度の麻庫という日常生活に著しい障害を生じ,その結果恐らく十数年に渡って長く寝たきりの生活を送らざるを得なかったであろうとの個体の存在は,縄文時代という生存条件の厳しく,医療の未発達な原始的社会において,すでにこのような重度の身体的障害をもつ者を受け入れ,周囲の手厚い看護と社会保護がなされていた時代であったということを示す貴重な症例であると考えられ, 峰山・山口(前出)が 指摘したように,(自分の力で自分の生命をささえることが出来なかった女性が,数年の間生きつづけたという事実は)縄文後期の入江式土器人の精神生活とその社会構造を知るうえに重要なことであり,極めて興味深いものがある。(※5)

もしも現代人が縄文時代にタイムスリップしたら、たとえどんなに健康であっても、生きていく上で随分苦労をすることでしょう。まして病気であれば、なおさらです。画期的な治療法もなく、不自由さを補えるような便利な物品があるわけでもないのですから…入江9号のように両手足が麻痺してしまった場合、自分一人では寝返りも困難です。竪穴式住居の寝床は、背中や腰に随分負担がかかったことでしょう。現代のように高さが変わる電動ベッドや車椅子があるわけでもありませんから、入江9号をお世話する周りの人にとっても、なかなか大変だったことでしょう。

だからこそ思うのです。麻痺となった後の年月の長さを物語る入江9号の華奢な手足の骨は、もちろん懸命に生きた証でもあるけれど、周りの人から受けた愛情の年月を表わしているのだと。

鈴木先生らの論文には頭部の骨の写真が掲載されていましたが、とてもきれいな歯並びであることがわかります。9号人骨には虫歯や歯周疾患を疑わせる所見は見られなかったそうですが、それはとても重い意味を持っていると思います。両手の麻痺の人が、自分で歯磨きを十分行えるわけではないのですから…。つまり、そうした歯の状態からも周りの人がお世話を丁寧にしていたことがうかがえます。下顎側の前歯と犬歯が1本ずつ抜けていました。あまりにもきれいな抜け跡なので病気と言うよりは、わざわざ抜歯した結果なのではないかと思います。当時通過儀礼として行われていた抜歯の風習を反映したものかもしれません。そうだとすれば、他の健康な人と同じように、年を重ねて成長したことを周りからお祝いされたのだろうと想像できます。たとえ四肢麻痺であっても皆と同じようにお祝いされたのだと…。入江9号の笑顔と周囲の人の深い愛情とあたたかい空気感が、しみじみ伝わってくるようでした。

鈴木先生の時代から30数年の時を経て、再び入江9号は研究の対象となりました。そして篠田謙一先生の「次世代シークエンサーを用いた古代病原菌解析法の開発」(※6)で行われたゲノム解析により、入江9号は女性ではなく男性であることが示唆されました。この発見により入江9号は筋ジストロフィーであった可能性も掲げられることになったそうです。

ポリオであったのか、或いは筋ジストロフィーであったのかまだ定かではありませんが、入江9号は廃用性萎縮を起こすほどの重度の障害があったことは確かなことです。周りの人々の支えによってこの人物が10代後半まで天寿を全うできたことは、決して色褪せることのない事実です。

ーーー※ーーー※ーーー※ーーー

東京の国立科学博物館日本館を訪れた時、入江9号の人骨レプリカが展示されていました。
頭蓋骨、肩甲骨、鎖骨、椎骨、各種長骨がまとめられた展示です。
美しい歯については既に上述しましたが、レプリカと言えどもしっかりした歯で、生前きちんと歯のお手入れをされていたことがわかります。
展示スペース内の左右両脇に長骨が置いてありましたが、頭蓋骨や歯のつくりの丈夫さに比べて、やはり長骨の太さが随分細い印象を受けました。目視で私の人差し指の半分くらいの細さです。

展示されていた入江貝塚出土の人骨(レプリカ)、実際目の当たりにするとどこか明るい感じの印象をまとっていました。本人が病気で悲しいまま亡くなったというのではなく、大切にその人生を生きて、そして人生を終えていった……なぜかそういう印象を受けました。


引用文献:
※1 鈴木隆雄ほか(1984)「北海道入江貝塚出土人骨にみられた異常四肢骨の古病理学的研究」人類学雑誌, 92(2), p.87
※2 前掲書, p.91
※3 前掲書, p.94
※4 前掲書, pp.94-99
※5 前掲書, p.100
※6 篠田謙一「次世代シークエンサーを用いた古代病原菌解析法の開発」科学研究費助成事業 研究成果報告書(2018/5/20現在) 挑戦的萌芽研究 2015-2017
※写真1 洞爺湖町教育委員会 縄文遺跡群世界遺産登録推進本部作成 北海道・北東北の縄文遺跡群リーフレットシリーズE 史跡入江・高砂貝塚パンフレット
※写真2 入江貝塚出土人骨(レプリカ)全体, 東京 国立科学博物館 日本館展示, 2018/6当方撮影)
※写真3 入江貝塚出土人骨(レプリカ)歯, 東京 国立科学博物館 日本館展示, 2018/6当方撮影)
※写真4 入江貝塚出土人骨(レプリカ)各種長骨, 東京 国立科学博物館 日本館展示, 2018/6当方撮影)
   
参考資料:
北海道洞爺湖町教育委員会 ホームページ
鈴木隆雄ほか(1984)「北海道入江貝塚出土人骨にみられた異常四肢骨の古病理学的研究」人類学雑誌, 92(2), pp.87-104
篠田健一ほか 次世代シークエンサーを用いた古代病原菌解析法の開発(文部科学省 科学研究費助成事業 研究課題/領域番号15K14615)
 
4,000年前、四肢麻痺となった後、十数年生きることのできた青年はたくさんの愛情と慈しみを感じながら過ごせたのだろうと思います。
初出: 2017/12/2
写真追加・文章一部追加:2018/7/3
文章一部改変:2021/12/29
長原恵子
 
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