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家族の気持ちが行き詰まった時
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親御さんのどちらかが、仕事やその他のいろいろな理由で、家で過ごす時間が短い場合、どうしても家で過ごす時間が長い親御さんの方が、お子さんと関わる時間が長くなりますね。お子さんのお世話が大変な時、一緒に過ごす時間が必要だとはわかっていても、自分で時間の融通をつけるには、限界が出てくることもあります。

たとえば、お客さんの要望でこの日、この時間に配達に行かなくてはいけない、とか、たくさんの部署から参加する会議を、自分の都合だけで日時変更することが難しいとか、納期が決まった製品の工場で、自分が担当作業からはずれると、他の方にとても負担がかかるため、簡単に休みを申請できないとか、他の人では代わりが頼めない出張があるとか…。決して家庭のことを軽視しているわけではないけれど、どうにもならないことって多々あると思います。

それに、仕事をする、つまりそこには収入が発生するわけであり、家族の生計を支えるためには、どうしても必要なわけです。そして安定した生活のために、そうした状況も長く続くことになることでしょう。

そういう時、家で過ごす時間が短い親御さんは、専業主夫・主婦とか、お仕事をやっていても、おうちでやる内職だとか、パートで早く家に帰って来れるとか、とにかく家でお子さんのお世話を長くするパートナーに、申し訳なく思う気持ちがあるだろうと思います。そして、相手に負担をかけて悪いと思いつつ、でもお金を稼がなくちゃと思う気持ちの狭間で、頭を抱えることも多いはず。

そのような方にヒントになる言葉が、先日読んだ佐々木志穂美さんの本の中に、ありました。(志穂美さんと博之さんご夫妻が授かった三人の息子さんには、それぞれ病気がありますが、詳しくはこちらをご参照ください)。

当時、博之さんは会社員として働いていましたが、志穂美さんは次男の大(ダイ)君の小学校入学を機に、内職から外に出て働くことにしました。それは経済的な理由というわけではありません。大君のためでした。
自閉症で人とのコミュニケーションが苦手な大君が、放課後、家に閉じこもってしまっては、友達が作れないだろうと志穂美さんは心配しました。そこで、大君に児童会に入ってほしかったのですが、当時、児童会入会には厳しい条件がありました。どうやら保護者が内職の場合、そのお子さんは入会できないのです。そこで志穂美さんは外で働く仕事を探しました。お子さんの療育通いなどのために、時間の融通がつく仕事を希望しましたが、ハローワークではなかなかそうした条件の仕事は見つかりませんでした。そこで志穂美さんはレンタルモップのお店に片っ端から自分で電話をかけ、一番感じの良かったお店の店主に働かせて下さいと頼んで、パートを始めたのです。

その後、働き者の志穂美さんのことを見初めた友人から仕事の紹介があり、事務仕事のパートも掛け持ちするようになりました。忙しい生活ではあるものの、志穂美さんの心は充実していました。

私は仕事を持つことで、社会人としての佐々木志穂美に戻ったのだ。


引用文献:
佐々木志穂美(2006)『さん さん さん〜幸せは、いろんなかたちでそこにある〜』新風舎, p.74

日常の中で、違った色の時間を過ごすことができるようになると、自分の気持ちも変わってきますものね。志穂美さんは三男の航(わたる)君が小学校に上がり、四年生の夏まで、そのお仕事を続けましたが、航君のことで相談や療育に行く時間が増え、時間の都合がつけにくい事務のお仕事は辞めることになりました。

育児の中では楽しい時もあれば、ハラハラ、ドキドキ、落ち込む時も多々あります。そういう状況が続くと、心も容易にとげとげしてくるかもしれません。それは自然な流れだろうと思います。でも、志穂美さんはそうではありませんでした。

それはもちろん、志穂美さんのお人柄による所だと思いますが、ご主人の博之さんの言葉や態度も、大きな力を持っていたからだと思います。

夫は、頭はいい……はず、と思う。だのに、生きていくにあたってのエネルギーや栄養は、すべて優しさという方面だけに使って、容量の良さとか、計算高くという方面までは、まわってきていない気がする。

洋平の障害がわかったときも、いつものまんまの夫で、
「重いもの背負って、よくがんばって、会いにきてくれたな」
と、優しく洋平の頭をなでていた。

洋平の目が見えていないと医師に言われたすぐそのあとに、
「きれいな海を見せようと思って」
と、疲れから眠り込む私を家に残し、海まで、洋平とふたりで
ドライブしてきたこともあった。

幼いころのダイが、騒ぎを起こし注目を集めても、恥ずかしいという感情を持たない人だった。怒ることもない。(略)

ダイを妊娠したときも、航を妊娠したときも、「障害児ならいいな」と言っていた。「障害児でもいいよ」ではない。「ならいいな」である。後ろから、首しめたろかい、と思った。

でも、障害児を三人授かって、結構楽しくて、私にはこの人生が合っていると気づいてからは、夫の言葉のおかげで、この子たちの親になれたのかな、と、少々感謝している。

ずうっと昔、結婚式で私の上司たちが、
「おまえ、自分の性格知ってるなー。尻に敷きやすそうなの、探したじゃないか」
と、言っていた。私の性格を誤解している。息は、夫のあとをついていくタイプだ(誰も信じてくれないが)。

でも今、全力で人生を走っていく子どものあとを、私が全力で追いかけているから、結局私は夫の前を走っている。思いっきり好き勝手もしている。

私たちは、夫の絶対的優しさという手のひらにのっている。


引用文献:前掲書, pp.111-113

共に過ごす相手によって、時間の質が変わっていくのだろうと思います。相手をねぎらい、慈しむ気持ちが根底にあれば、ちょっとした言葉や態度、行動に現われてきます。直接的に、あるいは間接的に相手の心に届き、心を癒すことになっていきます。
そうした親御さんの関係性は、家庭の雰囲気をあたたかいものへと形作っていきます。実は、それが一番難しいことなのかもしれません。
どんなに、きちんと、なに不自由なくお世話が行き届いていたとしても、冷たい雰囲気の中で過ごすことほど、こどもたちにとって居心地の悪いものはないでしょうから…。
家で過ごす時間が短くて、お子さんとの時間がなかなかとれない…と悩む時には、言葉と態度と行動が、家の雰囲気を変えていく、そういう力があるってことを信じてほしいなと思います。

 
お互いがお互いの存在に感謝し、過ごしていくってこと、それは案外難しいかもしれないけれど、大事なことなんだろうと思います。
2016/5/4  長原恵子
 
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