病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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お子さんを亡くしたご両親の嘆きの一つが「どうしてこんなに早く逝かなければならなかったのだろうか」ということだと思います。
現代医学の発達は平均寿命を延ばすだけでなく、夢のようだった細胞治療等までもが、どんどん具体化してきている時代なのに…。
いくら命の尊さはその長さで計ることはできない、と言われても悲しみに沈むあなたの気持ちには、なかなか届かないと思います。

短い命をどう考えれば良いのか、この理不尽さをどう乗り越えていけば良いのか、私はずっと考えてきました。これまで浄土真宗を中心に仏教を勉強してきましたが、ほかに何か宗教的な立場から考える方法はないだろうかと思い、上智大学敷地内の岐部ホールで行われている、アルフォンス・デーケン(Alfons Deeken)先生のキリスト教入門講座に2013年4月から参加させていただくようになりました。
25年ほど前、まだ私が看護学生だった時に、デーケン先生が学校に招聘され「死の準備教育」というタイトルだったと思いますが、特別講演をしてくださいましたので、命の面からキリスト教を学ぶなら、デーケン先生のところで学びたいと思ったのです。
この講座は一般向けに開放されたもので、キリスト教を学問的に学ぶという堅苦しいものではなくて、生きるうえで必要なものの考え方を、キリスト教を立ち位置としてお話しくださるものです。C.GabarainのPescador de hombres(漁師ペトロの召命)で始まり、モーツアルトのAve verum corpus (アヴェ・ヴェルム・コルプス)で終わるご講演は、実に素晴らしい1時間半ですが、聴講料は無料。それはあまりにも申し訳ないので、聖イグナチオ教会に設置されている「タラ友の会(フィリピンの子どもたちを支援している)」の献金箱に毎回、僅かですがお礼の志を入れさせてもらっています。

さて、毎週、通ううちに、私なりに一つの答えが見えてきました。デーケン先生のご本の中で何度か取り上げられていた、アルフレッド・デルプ(Alfred Delp)神父のお言葉です。その言葉がとても素晴らしかったので、デーケン先生に直接、出典をお伺いしてみました。すると、デーケン先生は調べてくださって、わざわざ訳までつけて、教えてくださったのです。
とても感激で、嬉しかったです。デーケン先生はご高齢でありながらも精力的に活動され、現在も全国各地での講演、そして海外での学会参加や視察・巡礼引率などで大変多忙でいらっしゃいます。にも関わらず、一介の聴講生のために時間をとって調べ、資料を用意してくださったお心に、深く感動いたしました。お子さんを亡くされたご両親の心に、しっかりと届く力を持つ言葉だと思いますので、今日はその言葉をご紹介いたします。

デルプ神父はドイツ人のイエズス会士でいらっしゃいますが、反ナチス運動に関わったため、1945年、死刑に処されてしまいました。その直前、死刑囚のお部屋の中でお手紙に記された言葉がこちらです。
私はドイツ語はわからないので、下記の@の文章の日本語訳をデーケン先生がローマ字でご用意くださっていました。(2013/6/26)

@の部分を書き出しておきます。
Wenn der Herrgott diesen Weg will, dann muss ich ihn freiwillig und ohne Erbitterung gehen. Es sollen einmal andere besser und glucklicher leben durfen, weil wir gestorben sind.
ドイツ語引用URL:
http://www.hl-geist-gemeinde-balingen.de/contenido/cms/front_content.php?idart=252

デーケン先生の訳をひらがな・漢字混じりで表記すると次の通りです。

「もし神様が私にこの道を歩んでほしいなら、
私は自由に、そして腹立ちなしにこの道を歩みたい。
私たちが死にましたから、将来他の人々がもっと良く、
もっと幸福に生きることができることを希望しています。
(アルフレッド・デルプ神父先生のお言葉・デーケン先生訳)」

難しい日本語の言葉ではありませんが、実に奥深い難しい内容だと思います。ただ私なりにその言葉の意味を考えて見ますと、次のようなことが言えるのではないかと思います。
「デルプ神父は自分の死がこれから問題提起されることになり、それをきっかけとして世の中が本来あるべき姿や真理に至るように修正され、平和になり、人々の生活に幸せがやってきますようにと願った。
そして37歳で死刑によって自分の生が終わってしまう、という人生が、神が定めた自分の道であるのならば、自分はその運命を恨むことなく受け入れ、歩もうと、デルプ神父はお考えになった。(長原の解釈)」

デルプ神父の言葉はこの後、Aのように続きます。
日本語訳はすでにご本の中で取り上げられているので、日本語の紙をデーケン先生がご用意してくださいました。

書き出しておきます。
Wenn durch einen Menschen ein wenig mehr Liebe und Gute, ein wenig mehr Licht und Wahrheit in der Welt war, hat sein Leben einen Sinn gehabt..
ドイツ語引用URL:
http://www.hl-geist-gemeinde-balingen.de/contenido/cms/front_content.php?idart=252
 
「もし一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その一生には意味があったのである。
      (アルフレッド・デルプ神父先生のお言葉・デーケン先生訳)」

とても、心動かされる言葉だと思いました。
そして、この言葉がきっかけで、いろいろと私の考えが広がりました。
あなたのお子さんの命はたとえどんなに短かったとしても、あなたに少しでも喜びや、幸せをもたらしてくれ、あたたかい気持ちになる瞬間をくれたはず。それは何にもまして大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
そして、これからはあなたの人生の先を照らす存在として、お子さんはあなたの心の中に、ずっと一緒にいるのだと私は思います。
 
だから、あなたのお子さんの一生は短くても、あなたの心をあたためるという大切な意味を持つ一生だったと言えるのだと思います。  
2013/6/27  長原恵子
 
関連のあるページ(シルバーバーチ)
「短い一生と人生の意味」 ※本ページ
「小さな灯の遺す大きな足跡」