救命筏となるもの |
エッセイ「声を詰まらせた父」で取り上げたように、第16代 アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン氏は、2人の幼いお子さんに先立たれました。リンカーンは辛い日々を過ごされたわけですが、自分自身の気持ちを奮い立たせるために助けになったのは、リンカーンの持っていた死後の世界観ではないか、ということを「確かな真実」で取り上げました。
今日は、リンカーンの心の支えになったものとして、信仰について考えていきたいと思います。リンカーンの信仰心について妻メアリーの言葉を挙げて、ジョシュア・ウルフ・シェンク氏は三男ウィリアム君の死が、大きな変化をもたらしたと考えました。 |
次の転回点は、1862年2月のウイリー・リンカーンの死で訪れた。メアリー・リンカーンによれば、リンカーンは「常に信仰心があった」が、「希望」 と「信仰」に対する考え方が変わり始めた。おそらく、彼女が言わんとしたのは、あの世での希望と信仰を意味していたのではないか。ウィリーが埋葬された後も、リンカーンは何度か彼の遺体を見るために墓を訪れている。
彼は、l人の陸軍将校にこう聞いた。
「失った友人を思い起こし、相手とじかに交渉を持っているのに、これは現実ではないという意識はある―こんな経験はなかったかね?」と。
将校は、あると答え、「誰もがそういう経験があるのか」と思った。
リンカーンは言った。「私も息子のウイリーとはそんな具合なのだよ」と答えて咳き上げ、つらそうに身を震わせた。
引用文献:
ジョシュア・ウルフ・シェンク著,越智道雄訳(2013)
『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』
明石書店, p.304 |
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心の中には、いつも笑顔が思い浮かべられるのに、いつも話しかけているのに、息子はいったいどこにいってしまったのだろう。どこか遠くに遊びにでかけて、その帰りを待っているだけなのだろうか、いや、息子が死んでしまったということ自体が、夢の中の話なのかも…そんな風に心の中がかき乱されていたのかもしれませんね。
「確かな真実」で注目したリンカーンの死後の世界観に関する言葉は、ウィリアム君が亡くなる10年前に、リンカーンが綴ったものです。
ですから、そうした死後の世界観を持っていながらも、それだけでは、激しく揺さぶられる心を鎮めることはできなかったのでしょう。
そこでリンカーンを救ったものは、信仰でした。 |
この落ち込んだ時期、リンカーンは礼拝に出ていた長老派教会の牧師、フィニアス・D・ガーリーに感銘を受けた。ウイリーへの賛辞でガーリーが説いたのは、「試練の時」、人は「始めから終わりを見ていた者はすべてのことを申し分なく仕上げる」ということに気を向けなければならないということだった。
神への信頼によって、とガーリーは言った。
「私たちの悲しみは聖化され、魂への祝福となる。そしてやがては、感謝と喜びのない交ぜになった気持ちで、こう言えるときが来るだろう―『私たちがつらい思いをしたことは私たちにとってはよかったのだ』と」。
リンカーンは、ガーリーに賛辞の写しを書き出してもらえまいかと頼んだ。行く手に待ち受ける試練を前にして、リンカーンは救命筏のように牧師の考え方にすがろうとしたのである。
リンカーンの謙虚さは、確かに彼に慰めをもたらした。
ジャーナリストのノア・ブルックスによれば、「子供のようにひたすら神意にすがる姿には感動を誘うところがあった ― 特に時折、極端なまでにそうなったときには(中略)人間の助けが挫折したとき約束される力を、それまで以上に熱心に求めた」。
一度などリンカーンは、ブルックスに聞こえる所でこう言った。「間違いないことは、私がここを去るときは賢明な人間にはなっていなくとも、前よりはましな人間にはなっていることだ。ここで思い知ったことは、自分がいかにお粗末な種類の人間であるかつてことだからね」と。
これをリンカーンが元気そうに言っただけに、よけいインパクトは強くなった。
引用文献:前掲書, pp.304-305 |
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いくつもの苦しみの中で大きく翻弄され、それに耐えながら生きてきた日々。それを、始まりから終わりまですべて神はご覧になっており、大きな祝福を与えてくれるのだ…そう考えることが、なぜ救いになったのでしょう。
それはきっと、苦しむ自分を誰にもわかってもらえないという孤独の沼から、リンカーンを引き上げてくれたからではないでしょうか。
孤独は決して悪いものではありません。
孤独は時に、周囲の雑音を閉ざして、自分と向き合うための静寂と滋養の機会をもたらしてくれます。しかしながら、関わりを必要としているのに、誰もあたたかい理解を示してくれない「孤立」した状況がもたらされることは、苦しみを増長させることになります。
リンカーンは苦しみを取り除いてほしいと願ったのではなく、この苦しみと共に生きていける強さをくださいと、願ったのでしょう。
それは自分が子どもに先立たれても、枯れることのない愛情を子どもに持ち続け、自分はその子どもの「父」であり続けることを選んだからなのだろうと思います。
苦しい時に、自分を立て直すために後押ししてくれるもの、それが信仰の果たす大きな役割ではないでしょうか。 |
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あなたが抱える苦しみ、その1つ1つは、お子さんへ向けられる愛情の証しです。Lana-Peaceでのカウンセリングでは、苦しみを、お子さんとのあたたかいつながりへと変えるお手伝いを行なっています。 |
2014/4/15 長原恵子 |