「不運」と「不幸」は違うもの |
風見しんごさん(詳しくはこちら)は小学五年生だった長女えみるさんを交通事故で亡くされてから、「どうして自分が娘の命を守ってあげられなかったのか」と苦悩の日々を送っていました。また風見夫妻はそれぞれが自分自身を、異なる視点から責めていたのです。父 しんごさんはえみるさんが頑張り屋さんであることをよく知っていたけれども、亡くなる前は「そんなに苦しいなら、もう頑張らなくても良い」と思ってしまった自分を薄情者だと思ってしまいました。一方、母 尚子さんはこれまでえみるさんの成長の中で、ずっと頑張れと励まし続けてきたことから「せめて亡くなる間際は穏やかに送り出してあげれば良かった」と、自分を責めていたのです。そうした苦しい時間を過ごしながら、やがてしんごさんは、だんだん悲しみに向き合っていくようになっていったのです。 |
よく「悲しみを越えるには」と色々問答されるが、僕は、悲しみの中には、一生越えることのできない悲しみもあるのではないかと思うようになった。
だから越える必要もないと考えるようになった。確かに人生において越えなければならないものはある。しかし、越えられないものもある。そこには常に悲しみがついてまわるかもしれない。それでも、忘れようとするよりも、我慢せずに、愛する人や子供の面影を追い続けたほうが、生きることが楽になるのではないか。
そうしたことが、えみるのことをちゃんと受け止めていく作業につながっていったのではないかと。今思うと、それが傷を癒す大きなきっかけともなった。
引用文献 A:
風見しんご(2016)『さくらのトンネル 二十歳のえみる』青志社, p.60 |
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えみるさんの悲しい最期。いくら辛くても、父しんごさんはそれを手放すことはできません。なぜなら、痛ましい現実であっても、それはえみるさんにとって人生の一部であるのですから…。それでもやはり親心として、えみるさんがあと何十年という月日を十分生きる人生であってほしかった…という気持ちは拭えないでしょう。しんごさんは時間の流れと共に、覚悟を決めていきました。 |
「この穴は塞がらないな」と気づくまで、ずい分時間がかかった。「ああ、これはもう、穴の開いたままで生きていかないと、先へは進まないな」と開き直ったら、少しだけ心が楽になった。
引用文献:前掲書 (A) ,
p.58 |
悲しみに遭ったとき、傷が癒えたら、心に聞いてしまった穴が塞がったら、そうすればまた頑張れるだろうと、おそらく誰もがそう思うだろう。だけど、いつまで経っても傷は癒えないし穴は塞がらない。
〈あ、これはもう一生塞がらないんだ……〉
ということに気づくまで、僕は、本当に長い時間がかかった。
いつかはすべてを受け止めなければならないと思っていたけれど、受け止められないものは、そのまま置いておけばいいのかもしれない。すべてを完壁に消化することなんて不可能だ。
一生穴が聞いたままなんだというのは、絶望と同じではない。穴が聞いたままでも、そこから新たな芽を出すことだってできる。
それがわかれば、次の一歩を踏み出せる。その傷が消えることを期待していたら先には進めない。
引用文献:前掲書 (A) , pp.234-235 |
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大きくぽっかりと開いてしまった心の穴、そこから新たな芽を出すとは一体どういうことなのか? 決してhow-to本ではありませんが、しんごさんの文の中から読み取ってみましょう。 |
現在は閉鎖してしまったが、僕のブログにも「私も子どもを亡くしました」というご遺族からの書き込みをずいぶんといただいた。先に紹介したように東日本大震災後にも、お子さんを亡くされた親御さんからお手紙をいただいた。身をそがれるような辛い経験を思い出し、文字にするというのはさぞ苦しかったのではないかと思う。しかし、あえて心の傷と向き合って、それを言葉にするという苦しみが、一歩前に進むための力になってくれるのかもしれないと感じた。
引用文献:前掲書 (A) , p. 235 |
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悲しみに向き合って、それを言葉にするということが、進むための力になる…。それは混沌とした自分の心の中を、手探りながらも整理しようとする作業に似ているのかもしれません。
心を整理するとは「悲しみを忘れる」とか「悲しみを消し去る」のではありません。たとえば、こんな方がいらっしゃいます。こどもの死のすべての原因が、自分にあるような錯覚に追い込まれて苦しくなる方。「非力な自分のせいで我が子が死んだ」と思い詰める方。決してそうではないのに…。でも、そういう誤りによって、更に自分の心を苦しくする必要ないのです。本来の事実と自分の心の力技の成した思いこみとを区別していくことは、心を整理していくことの1つなのだろうと私は思います。 |
過去に起こったことばかり見ていたり、目をつぶったり、うつむいてばかりいては、大切な今が見えなくなってしまいます。悲しみに耳を塞いでいては、大切なメッセージが聞こえてこなくなります。
引用文献:前掲書 (A) , p.12 |
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えみるさんの死後、しんごさんは交通安全の講演会に演者として招かれるようになりました。娘の死を語ることは辛いけれど、しんごさんはそれを自分の「天命」と思って取り組んでいったのです。 |
そこで僕の正直な気持ちゃ考えを声に出していけば、それを聞いた人の中には「よくそんな娘が死んだときの話なんかできるなあ」と思う人もいるだろうが、しかし「自分も自分の思いを吐き出してみようかな」と思う人もいるかもしれない。それがきっかけで、心に閉じ込めていた思いを外に向かってしゃべることが、個人の心の救済を越えて社会を動かす力になることもあるのではないかと感じるし、僕はそちらを期待している。
一歩一歩は確かに小さくても、けれども前へ、前へ……。
引用文献 B:
風見しんご(2008)『えみるの赤いランドセル 亡き娘との恩愛の記』青志社, pp.153-154 |
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青信号で横断歩道を渡っていたえみるさんが、道の向こう側から右折してきた車に轢かれた事故から9年後の2016年、その事故現場の信号は「歩車分離式」に切り替えられました。これにより歩行者の流れと車の流れが分けられ、事故が起こる危険性は格段に減るのです。
小さな一歩、その積み重ねが、未来のこどもたちの安全へつながったと言うこともできるでしょう。 |
ある日ね、ハハが言ったんだ。
「私の生き方は決まった」って。
人に何と言われようが、人がどうであろうが、私は、自分がいつか天国に行くときがきて、えみると会えたとき、えみるにひと言「よく頑張ったね」って言ってほしい。そんな生き方がしたいって。
チチもまったく同じ気持ちだよ。
どんなに人に褒められるよりも、どんな立派な賞をもらうよりもチチとハハは、そのえみるからのひと言が欲しい。
だから、真っすぐ前を向いて、
しっかりとふみねを抱きしめて……、歩いてゆくから。
引用文献:前掲書 (B) , p. 231 |
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やがてしんごさんの中で明確になったことがありました。「不運」と「不幸」は違うものだと。それはえみるさんの妹 ふみねさんあてのメッセージの中で語られています。 |
僕らに起こったことは、本当に「不運」なことでした。
どんなに正しく生きていようと真面目に暮らしていようと、不運な出来事に見舞われることがあります。それは、いくら避けようとしても、どうすることもできないから「不運」と呼ぶのです。
でも、「不幸」は違うと思います。不幸は自分自身が作り出してしまうものだから。自分たちは不幸だな、憐れだなと思ったときから不幸は始まります。だから、チチは絶対に幸せを、またそれがどんなに小さな幸せであったとしても手放さない。「不幸」に身をゆだねることは絶対にしないと決めました。
えみるを失ったことは、確かにこれ以上ない大きな「不運」でしたが、ハハと二人で、「ふみねを絶対に不幸にさせない」と天国のえみるに誓いました。 けれど、えみるが亡くなる前から、そしてその後も、今この瞬間にも、世界では大勢の子どもたちが交通事故の犠牲になり、大事な命を奪われています。また、今この瞬間にも、世界のどこかで犯罪や戦争で理不尽に命が奪われ続けています。
将来、きみがおかあさんになったとき、きみと子どもが生きていく世界は一体どんなふうになっているんだろう。
不安だからこそ、チチとハハは心から願っています。
いつの日か、この世界から「不運な出来事」が無くなることを。
そして「不運」によって「不幸」になる人がいなくなることを。
きみたちには絶対に、絶対に「不運」なんて経験してもらいたくないから。
笑顔で満ちる人生を歩んで欲しいから。
引用文献:前掲書 (A) , pp.13-15 |
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お子さんを亡くした悲しみと共に生きる覚悟を決め、いつか笑顔でお子さんと再会できるよう生きている父母、その姿をお子さんは誰よりも応援していることと思います。 |
2017/10/11 長原恵子 |
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