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アート・歴史から考える死生観とグリーフケア |
埴輪 鶏(にわとり)
(東京国立博物館 所蔵) |
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埴輪 鶏 1個 栃木県真岡市 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀 橋本庄三郎氏他寄贈 J-22899 |
(撮影許可あり) |
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所蔵先: |
東京国立博物館(東京) |
出展先・年: |
東京国立博物館(東京)平成館, 常設展示, 2017 |
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Lana-Peaceエッセイの中で水鳥・鴨のことを取り上げましたが(韓国の例・日本の例)、今日は鶏(にわとり)を模した埴輪のご紹介です。国立東京博物館のHP記事によると鶏のオスは「コケコッコー」と夜明けに鳴くことから、人々は太陽を導く鳥として神聖視し、闇夜の中で暗躍する邪悪なものが古墳に寄り付かないようにと守る役割を担った(※1)と考えられ、こうした埴輪が作られたそうです。
千賀先生は『はにわの動物園』の中で「夜明けとともに鳴く鶏は、暗闇の世界、黄泉国からの魂の再生を願う気持ちが込められたと考える。」(※2)と記されていますが、 鶏は死者を守るだけでなく、死者が現世に戻ってくるよう、死者の気付きのきっかけを促す存在だったのかも知れませんね。 |
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埴輪 鶏 1個 栃木県真岡市 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀 橋本庄三郎氏他寄贈
列品番号
J-22899 |
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頭部の「とさか」があるので、ニワトリ、そしてくちばしの下、頬から首へ垂れている部分「肉ぜん」が立派なのでオスと考えられている埴輪です。
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古墳時代よりももっと前の「鶏(にわとり)」の造形物について、千賀先生は『はにわの動物園』の中で記されています。そちらを参照すると、なんと弥生時代には鶏をモデルにした土製品が登場するそうです。
弥生時代中期初め、紀元前1、2世紀の境の頃の福岡県行橋市下稗田遺跡の鶏を始めとして、奈良県、京都府、福井県の集落跡から見つかり、また弥生時代後期後半、3世紀頃の岡山県の墓跡からも出土しているそうです。
そのため千賀先生は、集落内での日常生活の中で繁殖力のある生き物という点から、弥生時代には豊作を祈る農耕儀礼に関与した可能性が強く、鶏を模した土製品が生まれるようになり、やがて時期が下ると人々の鶏に込めた思いも変化し、墓に伴う造形物として用いられるようになったと考えられています(※3)。
国立東京博物館のHPによると多産の象徴であるメスの鶏は生命の再生を願いを込めて埴輪として作られた(※4)という考えがあるそうですから、鶏の力強い生命力をあやかりたいと思うのは、農作物だけでなく人の生命にも及ぶようになったということですね。
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参考・引用文献:
※1 東京国立博物館HP 埴輪になったニワトリ
※2 千賀久(1994)『はにわの動物園』保育社, p.107
※3 前掲書2, p. 113
※4 前掲HP |
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2018/3/3 長原恵子 |
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