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病気と一緒に生きていくこと |
ルノワール 4 力を生み出すこと
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「ルノワール 1 不器用なほど効き目がある」と「ルノワール 2 プレッシャーが力に変わる時」と「ルノワール 3 何のためのリハビリか」で書きましたが、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの手の変形は、リウマチの進行により、悪化していきました。そのためリハビリの中では、続けることができなくなったものもありましたが、それでもルノワールは、自分のできることを続けていったのです。
息子のジャン・ルノワールは次のように回想しています。 |
ミッシャの肖像を描き始めた頃、父は、かつてなかったほどひどいリューマチの発作がおさまったばかりだった。手の歪みもまた少しひどくなった。もう球を軽業みたいに操るなどということは、断念しなければならなかった。
それで、毎朝家のなかで、小さな薪で身体を鍛える時聞をのばした。その木切れを放り投げたり、ぐるぐるまわしたりしながら、休まず部屋のなかを歩きまわるわけだ。それがすむとすぐに、すぐしたに住んでいる門番のブリュヌレ夫人のところへあやまりに行った。やかましいのを我慢してくれていることに対する礼として、小さな絵も贈った。
アトリエでは休憩時間を利用して、拳玉をあやつり、とてもうまくなった。アンチピリンその他の薬をうんと飲み、ほとんど何も食べなかった。こういう用心は彼には別に辛いわけではなかったが、とにかくなんの効果もなかった。
時には、ひどい関節強直がおこって、家からアトリエまでの四、五百メートルの距離を歩くのに二本の杖の助けを借りなければならぬこともあった。エドワーズは、こういう状態にひどく心を痛めて、来るたびに新しい医者を連れて来た。だが、医者は、ルノワールを診察すると、首をふりながら、現代の医学ではこの種のリウマチについては何ひとつわかっていないと言った。
引用文献:
ジャン・ルノワール著, 粟津則雄訳(1964)『わが父ルノワール』みすず書房, pp.395-396 |
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ルノワールがリハビリに使った小さな薪とは「何のためのリハビリか」で書いた、直径四セン長さ約二十センチに切って、やすりをかけた薪のことだと思います。ルノワールが薪をうまく握れない時、薪は指から滑りおちて、大きな音をたてて床の上に転がったことでしょう。薪を拾い上げるたび、ルノワールの心の中に広がったのは、失望でしょうか?
いえ、そうではないのだと私は思います。
画期的な治療法がないために、当時の医師が首を横に振っていた時、彼は「じゃあ、自分で何とかするしかない」と、ポジティブに考えていたのかもしれません。だからこそ、階下に住む門番に、騒音を詫びて頭を下げながらも、リハビリを続けていたのだと思います。そのような努力する姿は、家族にきっと大きな影響を与えたことでしょう。
ルノワールが亡くなる前の年、1918年頃に完成したと伝わる「Woman tying her shoe(靴の紐を結ぶ女)」(油彩, カンヴァス,
50.5×56.5cm, 英国 コートールド美術館所蔵)は、椅子に腰かけて、右足の靴の紐を結んで身支度をしている、若い女性の様子が描かれたものです。
当時のルノワールにとって、指先で細い靴紐を、ちょうど良い固さにきゅっと結ぶことは、大層難しいことだったと思います。
女性で、若くて、思いのままに手加減しながら自分で靴紐を結ぶこと、それはルノワールにとってどれも正反対のものでした。
この女性は、身支度が整ったら、これから外に出かけるのでしょう。
そこにルノワールは、自由闊達な大きなエネルギーを感じとっていたのかもしれません。「そうした瞬間を切り取って、絵として描き残すことによって、絵筆を通してパワーをもらっていたのかも…」と想像します。
何か一生懸命になることがあって、そこから自分がパワーを得るということは、病いを患う人にとって、大切だと思います。
薬や手術や何かの治療によって得るのではなく、自分自身の力で生み出したり、手に入れたものは、大きな底力を伴うはずですから…。 |
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自分の気持ちが奮い立つような、何かポジティブなエネルギーが湧き出るような事柄が、あなたのお子さんにも見つかりますように… |
2014/3/31 長原恵子 |
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