ルノワール 6 見極めと充足した時間 |
リウマチとともに生きてきた印象派の巨匠 ピエール=オーギュスト・ルノワールの姿をこれまで「ルノワール 1 不器用なほど効き目がある」「ルノワール 2 プレッシャーが力に変わる時」「ルノワール 3 何のためのリハビリか」「ルノワール 4 力を生み出すこと」「ルノワール 5 自分のなすべきこと」で書いてきましたが、今日はちょっと違う方向から書いてみようと思います。
何が大切か、自分の気持ちと向き合うことについてです。
1912年、悪化を辿るルノワールの関節の症状を何とか改善させるために、名医を求めてウィーンから医師が探し出されました。
そして、その医師はルノワールに、数週間で足を使えるようにしてあげると約束したのです。
その時のルノワールの嬉しさを息子ジャン・ルノワール氏は、次のように綴っています。 |
そうは言っても、それはまったく心躍る夢だった。
また、モチーフを求めて田舎を歩きまわったり、キャンパスのまわりをぐるぐる歩いたり出来るとは(そうすると自由に夢想する助けになるのだ)。
父は、いっさいに眼をつぶって医者の処方に従うと約束した。
引用文献:
ジャン・ルノワール著, 粟津則雄訳(1964)『わが父ルノワール』みすず書房, p.433 |
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ルノワールが回復をどれほど心待ちにしていたのか、伝わってきます。
治療が行われて一カ月もたつと、ルノワールは元気が出てきて、いよいよ二年ぶりに足の力を試す時が来ました。
医師はルノワールを肘掛椅子から立ち上らせると、ルノワールは立つことができ、大喜びで、周りを見回しました。
自分の足で立てたことも嬉しかったでしょうが、眼の高さが変わることによって、見える世界が増えることは、どんなにルノワールの創作意欲をかきたてたことでしょう。
ルノワールは一歩ずつ足を踏み出し、イーゼルの周囲を一周すると、こう言ったのだそうです。 |
「やはり諦めることにしますよ。これじゃ私の意志のカはみな取られてしまう。
描くための意志力など残らなくなってしまいそうでね。
でもやはり私はね(と言って彼はいたずらっぽく目配せをして見せた)、描くのと歩くのとどちらを選ぶかとなると、やはり描く方が好きなんですよ。」
彼は椅子に腰をおろし、もはやその後は二度と立たなかった。
この重大な決心をしたあと、ルノワールの生命はまるで最後の火花を散らしているようだつた。ますます簡素になった彼のパレットから、眼も眩むような色彩や、大胆を極めたコントラストが溢れ出て来た。
もはや肉体的に享受出来なくなった生の美しさに対するルノワールのすべての愛が、今や、病いに苦しむ彼の存在のすべてから、迸り出ているようだった。
彼は文字通り光り輝いていた。つまり私は、彼の画筆がキャンパスを愛撫するたびに、さまざまな光がさし出るような感じがしたと言いたいのだ。もはやどんな理論からも自由だったし、どのような危惧にもわずらわされはしなかった。
引用文献:
前掲書, pp.434-435
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何かできるようになると、あれもこれも…、そう思いがちです。
でも、場合によっては、どれもが中途半端になることがあります。
特に体力がない時には。
自分のやりたいことは何であるのか、何をすれば最も心充たされる時間が過ごせるのか、それは見極めることは、とても大切ですね。
それは決してできることを諦めたり、手放すわけではなく、掌中の「できること」を、より一層大事に育てていくことなのだろうと思います。
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あなたのお子さんも、自分にとって大事なことが何か、見つけられるようになるといいですね。 |