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病気と一緒に生きていくこと
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こどもが幼稚園くらいの年齢になると、「死」について何らかのイメージを持つようになってきます。身近な年長者の死であったり、大事に飼っていたペットの死がきっかけであるかもしれません。こどもたちは死を「これまで身近であった人や動物と会えなくなる」といった状況として捉えていることが多いことでしょう。しかし、もしも幼稚園生の脳裏に「現在の自分の苦境を終わらせるための手段」として死が浮かぶとしたら…。

東田美紀さんは、息子さんの直樹さんが意思疎通の難しい自閉症であったため、気持ちをわかろうとするうえで大変苦労されました。やがて直樹さんが筆談を始めるようになって、美紀さんはようやく直樹さんの考えていることを、少しずつ知り得るようになっていったのです。美紀さんはどんなに嬉しかったことでしょう。直樹さんも嬉しかったことと思います。しかし、直樹さんの言葉には親御さんにとって、大変衝撃的な内容もあったのです。

表出言語や行動は幼いのですが内面では同い年の子供より、ずっといろんなことを考えている気がしましまた。
筆談を通して直樹の心の中がわかるようになって、直樹は自分が障害を持っていることに対して、私が考える以上に苦しんでいることも知りました。

「僕はもう死んでしまった方がいい。」
と訴えたこともあります。幼稚園といえばまだまだかわいらしく、同じクラスの子はみんな無邪気にテレビの怪獣ごっこをしているのに、我が子はすでに人生に失望し、もう生きていたくないと言っているのです。まだ、生まれてたった5年しかたっていないのに…私は愕然としました。
見かけは赤ちゃんみたいにしか見えない自閉の子が、こんなこと言っていると言っても、誰にも信じてもらえないでしょう。

(直樹の気持ちをわかってあげられるのは私だけだ。もう、直樹は充分すぎるほど傷ついて苦しんできた。これからは、お母さんが頑張るから)と私は、直樹と十に障害に立ち向かっていくことを決心しました。これ以上直樹が傷つけば、自分の力で生きることをあきらめてしまう気がしたのです。


引用文献:
東田直樹・東田美紀(2005)『この地球にすんでいる僕の仲間たちへ 12歳の僕が知っている自閉の世界』エスコアール出版部,
pp.90-91

自分ではどうすることもできない居心地の悪さを終了させるため、死を考えてしまうとは、随分極端な考えとして大人の目には映るかもしれません。でも、直樹さんをそうした思考へと駆り立てたものは、一体何だったのでしょう。

自分がみんなと違うということを毎日のように思い知らされ、どう生きていけばいいのかわからない感じで、思いつめていました。頭のいい子でしたから、理屈では人はひとりひとり違うとか、一生懸命自分らしく生きていればいいなどわかっています。

けれども、心の中の自分と他の人から見られている自分との大きな違い、自分の体でありながら思い通りにならない自分の行動、抑えても抑えてもあふれ出る感情など、ありきたりの言葉では直樹の心はとうていおさまりませんでした。


引用文献:前掲書, p.95

他のこどもたちが難なくできる日常の事柄が、なぜか自分にとってはハードルが高く、つまずいてしまう…そうした場面を毎日、体験していくことは、大人でも辛いことです。

やがて美紀さんはそうした状況に風穴を開けていきました。死を選びたいと思うほど直樹さんが感じていた行き詰まりを、希望へと変えるよう導いて行ったのです。教え諭す、といった働きかけによって、直樹さんの思考を修正していったのではありません。美紀さんは生活の中で、直樹さんが一つずつ「自信」を感じられる瞬間を、増やしていったのです。

それは直樹さんにとって自信が、何より大きな力になると美紀さんは知ったからです。一般の小学校に進学した直樹さんが、学校生活や人間関係に馴染めるようにと、美紀さんが毎日付き添った時間の中から、直樹さんには「自信」が大きな意味を持つと確信されたのでした。
5年に及ぶ付添、美紀さんにとっては、実に大変なことだったと思います。でも、そのおかげで直樹さんは自分の人生に立ちはだかっていた重い扉を押し開けて、自分らしさを肯定できる道へ進むことができたのです。

結局、直樹には百の言葉より一つの事実が、とても重要なことだと思いました。それは、少しでもいいからみんなが出来ることを出来るようになることです。
そのことに気づいてからはすべてのことが訓練になると思い、私と直樹の必死の努力が始まりました。

何でもやる前は(こんなこと絶対直樹には出来るはずがない)と私も思ってしまっていました。でも、学校で直樹だけが出来なくて、そのために苦しくてくやしくて逃げ出す直樹を見ていると、直樹がどんなにみんなと同じことが出来るようになりたいかが、痛いほど伝わってきました。

本当に直樹には出来ないのだろうか。努力もしないで障害のせいにしていいのだろうか。教え方さえ工夫すればできるようになるのではないだろうか。と私は思うようになりました。

私が一緒に学校に行かなければ、これほどまでには考えなかったと思います。一緒にいる時間が多かったので、自分と直樹が一体化したような気持ちになっていたのです。


引用文献:前掲書, pp. 95-96

しかし「自信」がキーワードだとわかっても、それは決してきれいごとではすみません。そこには壮絶な努力がありました。

元々、自閉の子は自分で自分のことがよくわかっていないため、努力しなさいと言ってもひとりではどうすることも出来ません。やらせようと思っても、やらせる内容が大変という前に、やらせるまでがまず大変なのです。泣き喚いたり、逃げ出したり、怒ったり、でも、それはやるのがいやなのではなく、みんなのように出来ない自分がくやしかったり、情けなかったりするだけなのです。

直樹の場合は私との筆談がありましたから、そのつど気持ちのやりとりをしてやらせることが出来ました。直樹は何度も挫折しそうになりましたが、とにかく、出来るようになるまで、私がつきっきりで練習しました。


引用文献:前掲書, pp. 96-97

出来ることが増えるようになり、直樹さんは他のこどもたちと心がクロスする機会が増えていったのです。

人の何倍も練習して初めてみんなに迫いついたとき、直樹は本当にうれしそうでした。出来るようになったものについては、落ち着いて授業を受けることも可能になりました。

子供たちも、頑張った仲間には心から拍手をしてくれましたし
「直ちゃん、すごい。」と言ってくれました。

今まで見せたことのないような自信にあふれた直樹の笑顔が、見られるようになりました。みんなと同じように出来たという結果が、直樹に生きる勇気をあたえたのです。


引用文献:前掲書, p.97

絶望のあまり、かつて脳裏に死がよぎった息子に、笑顔が戻ってきた…
美紀さんはどれほど嬉しかったことでしょう。

努力しても出来ないことももちろんありますが、頑張るということがどういうことなのかがわかり、何かをやることに抵抗することが少なくなってきました。
みんなのように出来ることが少しずつでも増えてくると、その時にやっと直樹は、自分もクラスの仲間の一員だという自覚も出てきて、僕は僕でいいのだという思いもわいてきたようでした。


引用文献:前掲書, p.97

努力してできることもあれば、できないこともある。
それをわかったことにより、「僕は僕でいい」と自分を肯定できる思いに到達したことは、何よりの収穫ですね。それは、自分が生きていく上で、大きな基盤になる思いですから…。

 
日々の小さな自信の積み重ねは、新しい自分へと変化し、成長するための大きな一歩。あなたのお子さんも、その一歩が踏み出せますように…。
2016/6/3  長原恵子
 
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