深まる理解と居心地の良さ |
以前、自閉症の少年 東田直樹さんが心の中でどのようなことを感じ、思っているのか、こちらでご紹介いたしました。
その東田さんが中学生の時に書かれた本(※1)が作家のデイヴィッド・ミッチェル(David Mitchell)さんによって英訳された『The reason I jump』は、世界各国の自閉症のご家族の元へと広がっていったのです。
その翻訳者ミッチェルさんを中心に、各国の自閉症のお子さんの親御さんへ行われたインタビュープログラムのDVD(※2)を、最近見たのですが、とても含蓄の深い言葉が多く、考えさせられることが多かったので、何回かに分けて取り上げたいと思います。
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※1 東田直樹(2007)
『自閉症の僕が跳びはねる理由
―会話のできない中学生がつづる内なる心』エスコアール
※2 NHKエンタープライズ
(2015)
『君が僕の息子について教えてくれたこと』 |
東田直樹さんは周りからの言葉に反応を見せず、5歳の時自閉症と診断されましたが、漢字など文字の記憶は抜群であり、それを自ら書き出すことに両親は驚き、その才能を伸ばしていくことに希望を見出したのだそうです。DVDの中では幼少期の直樹さんが「月」や「村」といった漢字を、お絵かきボードいっぱいにのびのびと大きく書いている様子が映し出されています。
そして努力を重ね、7歳の時には文章を書けるようになり、創作活動に才能を発揮するようになっていきました。第4回、第5回の「グリム童話賞」では中学生以下の部大賞を受賞され、13歳の時『自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心』を執筆されたのです。
今も人と対話する時に、直樹さんは文字盤を使って自分の考えを伝えていますが、それは「自分の忘れてしまいそうになる言葉を思い出せるから」であり、伝えたい言葉の頭文字を常に目で確認しておくことにより、常に頭に浮かんだ言葉を記憶にとどめられ、パソコンの変換のように次々と言葉が浮かんでくるのだそうです。
そう聞くと、自閉症のお子さんが何も言葉を発していなくても、その心や頭の中には、伝えきれていないたくさんの思いや考えが詰め込まれているのだと、あらためて知ることができますね。
例えば物に対する感じ方について。
高校生の時、直樹さんは桜についてこのように感じていたのです。 |
僕は公園に行っても、満開に咲く桜を視界のはしっこに少し入れるだけです。そうしなければ、あまりの美しさに僕の気持ちはくずれてしまうからです。
変わらない幸福というものがあるとしたら、繰り返される命の輝
きではないかと僕は思っています。
引用文献:
東田直樹(2010)『続 会話のできない高校生がたどる心の軌跡』
エスコアール出版部, p.89 |
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毎年美しい花を咲かせ、散り、寒い冬を乗り越えて、また翌年の春に美しい開花を見せる桜を、高校生当時の直樹さんは、こんなにも繊細な感性で捉えていたんですね。
やがて直樹さんは成人されましたが、その後も桜を見上げて、しばし立ち止まり、じっくりとその美しさを愛でるといった楽しみ方はされないようです。 |
僕はきれいな桜を長く見続けることができません。それは桜の美しさがわからないからではありません。桜を見ていると何だか胸がいっぱいになってしまうのです。繰り返す波のように心がざわざわと掻き乱されてしまいます。
その理由は感動しているせいなのか、居心地の悪さからくるものなのか自分でもよくわかりません。
わかっているのは僕が桜を大好きだということです。
引用DVD:
NHKエンタープライズ(2015)『君が僕の息子について教えてくれたこと』 |
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何も知らずに直樹さんの様子を傍から見ると、直樹さんの行動は美を理解する感性を持ち合わせていないように、誤解されてしまうかもしれません。でも、心の中でこんな風に感じていたのだと知ると、知らないままに相手を判断してしまうことが、どれほど危険であるかわかりますね。
人間はそもそも万能なわけではなく、すべてのことを知り得るわけではありません。それはもちろん当然のことです。しかしながら、たとえば自閉症のように、自分の心の内を外に向けて表現することが不得手であるがゆえに、世の中の多くの人から不当に誤解を受けているといったことは、周囲で多々起きているのかもしれません。
それは決して悪気を伴っているわけではないとしても
「無知」が生み出す誤解の恐ろしさは、きっとその誤解の矛先が向けられる本人にしか、わからないものでしょう。
だからこそ「知る」ということは、大きな意味と役割を持っているのだろうと思うのです。 |
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表現がうまくできないお子さんの奥底にある真実。それを知り、理解することにより、お子さんが一層、居心地良く過ごせますように… |
2015/7/5 長原恵子 |
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