病気や障害を伝えることの意味
〜親にとって、子にとって〜 |
お子さんの病気を、本人にどう伝えるのか。それは親にとって悩みどころだと思います。その理由は、告知をしたことによってお子さんの心の中に何かひずみが生まれてしまったら、どうしよう…そういった懸念があるからかもしれません。それでは、お子さんの立場から考えると、告知とはどういうものでしょう。先日読んだものの中で、お子さんご本人が、病名告知をどう捉えているのか綴られた良書がありました。その方だけでなく、きっと多くのお子さんの気持ちを代弁しているものだと思いますので、ご紹介したいと思います。
東田直樹さんは
5歳の頃、自閉傾向と診断を受けられました。直樹さんは相手の話を聞きながら言葉のキャッチボールで会話する、といった形態をとることは難しいようですが、決して自分の世界だけで完結しているわけではありません。文字盤やパソコンをツールとして、自分の心の中に起こったいろいろな思いを言葉にして、表現することができる方です。今日ご紹介する本は、直樹さんが18歳の時に書かれたブログを、後になって加筆修正されて出版された『あるがままに自閉症です 東田直樹の見つめる世界』((株)エスコアール出版部)です。 |
告知は障害があることについて、親から告げられることに大きな意味があるのです。それは「あなたには障害のために、他の子と違うところがある」という内容を伝えるだけなら、親でなくてもいいと思うからです。
告知で最も大切なのは「たとえ障害があっても、そんなことはたいした問題ではない。なぜなら、私たちはあなたを心から愛している」ということを、その子にわかってもらわなければいけないことです。子供は障害があること自体について、普通の人が想像しているように悩んでいるわけではありません。自閉症児の場合、障害がない自分なんて知らないわけなので、どんな自分でも自分であることに変りはないからです。
子供が本当に心配なのは、障害があるためにこれから先、何が起こるのかではないでしょうか。中でも一番心配してるのが、そんな自分を親がどう思っているかです。子供は自分が原因で、いつも親が困ったり、泣いたりしているのも知っています。その苦労は、障害のせいだとはっきりしたのです。
親から見捨てられるのではないか、そう考えずにはいられない子供の気持ちをわかってもらえるでしょうか。
引用文献:
東田直樹(2013)『あるがままに自閉症です 東田直樹の見つめる世界』(株)エスコアール出版部, pp.74-75 |
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病気のお子さんは、自分の周りのこどもたちと比べ「どうも自分は違うこと、できないことが多い。それって、どうしてなんだろう?」と考えた時に、その矛先が自分自身に向かってしまうことがあります。自分で自分を否定的に考え、自分を受け入れられない場合って、もう行く先を見失って彷徨うという感じでしょうか。でも、「できないこと」は単に病気によってそういう特徴が引き起こされているのであって、自分の本質自体が劣っていることを意味するものではない、と知ることは、どんなに大きな安心感をもたらすことでしょう。
特に思春期など複雑な揺れ動きのあるお年頃の場合は、とても重要な情報だと思うのです。 |
告知は、淡々と事実を話すのがいいと思います。問題は、その後です。「障害があっても決して不幸にはならない」「自分にできることを一生懸命にやれば、これから先も生きていける」「今日笑顔で暮らせるなら、明日も笑顔で暮らせる」「まだまだ楽しいことはいっぱいある」と話してください。
それから最後に「障害は誰のせいでもない」そして「私たちはあなたを決して見捨てないし、あなたが成長するのを応援し続ける」と約束してあげてください。
真剣に心を込めて言ってください。
子供は、聞いていないような態度をとるかもしれません。でも、聞いていると信じて伝えてください。
きっと伝わると思います。
告知がすんだから、障害をすべて受容できるわけではありません。障害者としての人生は、告知がスタートといってもいいかもしれません。
「告知したから、もう障害についてはわかったでしょ」というような態度をされると、とても悲しいです。
引用文献:前掲書, p.76 |
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たしかに病気は「事実」ですから、そこで「淡々に」伝えるのは大事なことですね。泣きながら、申し訳なさそうな重苦しい雰囲気で伝えたら、お子さんは袋小路に追い詰められた気持ちになってしまいますから…。
知った事実は、お子さんにとって、これから人生を歩む時、いろんな場面で自分で考え、選択していくうえでとても大切なことになります。
自分の立ち位置を理解することにより、「知らなかったゆえに起こってしまった不快な出来事や摩擦」を減らすことができるでしょうから…。 |
告知は、子供のためにすると思っている人がいるかもしれませんが、子供は自分の育ちの中で人と違うことくらい、とっくにわかっています。
告知は、親のためでもあるのです。病気の時も、積極的に治療するために患者に告知すると思います。その方が治療しやすいという理由もあるからではないでしょうか。
障害も同じです。告知した方が、親にとってもいろいろと説明しやすくなるし、前向きに取り組むことができます。
親が告知するのは、子供の人生に責任をもつ宣言、だと思います。一生子供の面倒をみるということではありません。しかし、何らかの手立てをしないと、自立するのは難しいことがはっきりしたのです。
告知は、親が子供の自立のために、これから一緒に頑張っていこうと言ってくれる誓いであってほしいと願っています。
告知されたあと、子供がどんな気持ちで、その後の人生を送らなければいけないのかを心配するより、親としてこれからどのような態度で子供と接するのかを気にしてもらいたいです。
告知が、お互いにとって良かったと思えたら、それは理想的な告知ではないでしょうか。
引用文献:前掲書, p.77 |
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妊娠がわかった時、生まれ来るお子さんへの願いとして、世の中では「五体満足で健康でさえあれば…」といった表現がよく言われます。そして生まれる前から、お子さんへの責任感を強く感じているはず。
でも、直樹さんの言葉「親が告知するのは、子供の人生に責任をもつ宣言」という責任、その「責任」とはどういうことなのでしょう。
私なりに考えてみると「どんな病気や障害があっても、なくても、あなたのことがを本当に大切で、愛しいんだよ。だからあなたには、1人の人として幸せになってもらいたいと思うんだよ。」
そのために親の立場で手助けできることをする、っていうことが、こどもの人生に責任を持つっていうことなのかなあと思います。
それは決して、何もかもを手助けするのではなく、お子さんの能力が発揮できるような状況になるよう、お手伝いをするという意味で。 |
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病気や障害の告知をちゃんと受けることにより、こどもは自分の手のひらの中に人生を取り戻し、自分で切り開けるようになるのだと思います。 |
2015/5/15 長原恵子 |
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関連のあるページ(病名告知):
「知ることにより、始まる人生」
(トーマス・A.マッキーン著『ぼくとクマと自閉症の仲間たち』より) |
関連のあるページ(東田直樹さん)
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